偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[adrotate banner=”6″]
考察
つい最近あったことなのだが、
(なぜこいつは無駄に乱暴で否定的な口調を使って意見したんだろう)
と思って、その人間に敵意を抱いてしまった。私は理不尽がとても嫌いで、いや、もう嫌いというレベルではなく、トラウマに近いと言ってよく、例えば、何かを思い出しただけでじんましんが出る人や、アレルギーのせいで、発作、ひどいときは死んでしまう人がいるが、ほぼ、それに等しい抵抗感があるのである。それには幼少の頃の経験が関係しているが、ここでは割愛する。
しかしとにかく、ブッダの言葉の超訳で、
と書いたように、私はその『負』に飲み込まれてしまってはならないのである。あるいは、『負の連鎖を断ち切るのは自分だ、という矜持を持て』と私が書いたように、その人間に対して『敵意』を覚えるのではなく、抱く感情を違う方向に持っていくことが、問われたのである。
もし私が相手に対して敵意を覚えてしまい、それを相手にぶつけ、あるいは仕返しをしてしまったら、『負の連鎖』は続いていくだろう。それは時間にして、体力にして、どれぐらいの浪費になるだろうか。それは本当に建設的なのか。『無駄』ではないのか。この限り有る人生の中で、そんなことをしている時間は、どれだけあるのだろうか。読むべきなのは以下の記事である。

そう考えると、シェイクスピアの言葉の意味も、グッと深まってくる。もし相手が悩みを抱えていて、その葛藤の整理がつかずにその日を迎えていて、(相手が何と思うか)まで頭が回らなかったとしたらどうだろうか。それもそのはず、自分自身の葛藤の整理すらついていないのだ。だとしたら、グッとこらえるのはこちらの役目である。もしかしたら相手の心にも、それをしたことでトゲが刺さったかもしれない。もしかしたら相手は、善意でやっているのかもしれない。
私の御託はいい。詳しくは、
このページに全てが詰まっている。
[adrotate banner=”7″]
関連する『黄金律』

同じ人物の名言一覧
