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第28の言葉|基礎ページ

意味

この記事でも書いた様に、例えばオーストリアの心理学者、アドラーは言う。

『「やる気がなくなった」のではない。「やる気をなくす」という決断を自分でしただけだ。』(アドラー)

コップの中の水を、『もう半分しかない』と捉えるか、『まだ半分ある』と捉えるか、そういう話ととてもよく似ている。『もう終わりだ』、『それしかできない』という言い回しをする意味はなんだろうか。それを言う必要性はどれだけあるのだろうか。誰がその言葉を欲しているのだろうか。誰がその言葉を発する人間を尊敬するのだろうか。

もし、『別に誰も欲していないし、尊敬もしないだろう』ということがわかっていてそれを言っているのであれば、そこにあるのは『無責任』である。

教育の神、森信三は言った。

『いやしくも生をこの世に受けた以上、それぞれの分に応じて、ひとつの心願を抱き、それを最後の一呼吸まで貫かなければならない。』(森信三)

宗教家、御木徳近は言った。

『「一体どれだけ努力すればよいか」という人があるが、「君は一体人生を何だと思うか」と反問したい。努力して、創造していく間こそ、人生なのである。』(御木徳近)

まだ『最後の一呼吸』が終わってないではないか。まだ『努力と創造』が出来るではないか。それなのになぜ『もうすぐ終わりだ』と悲観視し、人生を棒にふるうことを考えるのだ。

これは、80歳を超える私の祖母の生き様を見ても強く思うことだ。彼女がこれをアップする頃にまだ生きているかはわからないが、それぐらい人生の最終局面を迎えているということである。その祖母の最後の生き方を見て、私は納得がいかないのだ。祖母は、『もう終わりだ』という言葉を実際に吐き捨て、半ば自暴自棄になって、時間という財産を散財しているように見える。とても無責任にも見える。

いや、もちろん、彼女の人生も波乱に満ちていただろう。高齢者にならなければわからないことも多々あることだろう。孫である私は身近で見ていて、それをよく知っている。だが、だからといって最後の一呼吸まで人生が続くという決定的な事実が変わることはないのだ。

彼女の人生は、特別扱いされない。この世を生きる全ての人間が平等に、命が尽き果てるその瞬間まで、やるべきことがあるのだ。これは、祖母の命を、その価値を、心底の部分では決して軽いものにしたくはない、という思いがあるからこそ、湧き出る感情なのだ。つまり、『まだ、生きている』と考える人と比べると、『もうすぐ終わりだ』と考える人の命の価値は、著しく劣ってしまうという事実を、私は知ってしまっているのである。

もちろん、かけがえのない命だ。父親が死んだときにそうだったように、この祖母の命が終わっても、その価値がかけがえのないものだということはわかっている。だが、私は奮起したい。抗いたい。声を荒げたい。意志を貫きたい。まだ、生きているのだから。

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