偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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考察
『ものごとの無常について仰々しくしゃべりたて、現世の空しさの考察にふける人々を私は哀れむ。我々は、無常なものを無常でなくすためにこそ存在しているのだ。それは、両者を尊重することを知って初めて可能になる。』
『無常』とは、儚さ、という意味だ。『仰々しい』とは、大げさ、という意味だ。しかし実際にこの世は儚く、人生は虚しい。たとえそうじゃないと思う人がいても、そう思う人がいるのが現実だ。例えば最愛のパートナーとの間に、子供という命を授かった。天にも昇る気分だった。とても幸せな気分だった。だが、その子供が生まれてすぐに亡くなった。先天性の病気だったのだ。
二人はどれだけ悲しんだだろうか。どれだけその子の人生について、憂いただろうか。そんなことが実際にある。そういう人たちが、この世を『儚く、虚しいもの』と捉えるのは当然である。それは大げさな捉え方とは思えない。彼らは人一倍、この世の無常について敏感になってしまっただけなのだ。
しかし、ドイツの小説家、トーマス・マンは言った。
ここまで考えると、もう、『この世は無常だ』と思う人と、『いや、無常だからこそ、厳かで尊いのだ。』と思う人の、両方の気持ちが理解できるようになる。『アウラ』とは、『儚いからこそ尊い価値がある』という意味を持った言葉だ。また、『リカージョン』とは、『無限』という概念を想像する能力である。このリカージョンが使えるのは、地球上では人間だけだと言われているのだ。
『無限』が理解できるということはつまり、『有限』が理解できるということ。我々人間は、リカージョンができるからこそ、自らの存在がアウラであることを悟ることができる、地球上で唯一の生物。この事実を踏まえた上で、もう一度ゲーテやトーマス・マンの言葉を熟考したいのだ。
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