偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]デンマークの哲学者 キルケゴール(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
これだとまるで人間自体に『思想がない』ということを言っている様なものだが、しかし多くの人間に思想はある。あるから『思想』という言葉があるのだ。例えば『天甲斐』という言葉。こんなものはない。だとしたら、『ある』から思想という言葉があるのだ。それであれば、これは限定的は話であり、『一部の人間は』と言った方が正しい。
しかし、次に考えたいのは、ニーチェのこの言葉だ。
『論理は完全な虚構の見本である。現実の中には論理などは存在せず、現実はまったく別の複雑極まりないものである。我々は実際の出来事を思考においていわば簡略化装置で濾過するように、この虚構を図式化することによって記号化し論理的プロセスとして伝達および認識可能なものとする。』
つまりニーチェの言うように、『論理』だろうが『思想』だろうが、そんなものは最初からなく、あるのは『人間が認識できる記号』なのである。『1』。これは、全世界の『人間』が認識できる記号だ。『こんにちは』。これは、日本人が認識できる記号。このように、論理も思想も、全て人間が認識できる記号であると考えた場合、キルケゴールの言葉の意味が違って見えて来る。一見すると、『一部の思想を持っていない人間』を揶揄したような言い方に聞こえるが、ニーチェの言葉と併せて考えると、人間全体に警鐘を鳴らすような、そういう言葉にも聞こえてくるのである。
フランスの哲学者、パスカルは言った。
自分が持っているその『正当化された思想』は、本当に在るべき概念なのだろうか。これらの言葉を通して、少しでもその安住の地にもたれかかった背中を浮かせ、背筋を伸ばすのなら、そこには知性がある。
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