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キルケゴール『女というのは泣かせてやらなければならない。泣きぬくと、泣くべきものがなくなって、あとはすぐに忘れてしまうものなのだ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]デンマーク哲学者 キルケゴール画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次

考察

女に限らず、涙を流すということは、人間にとってある種のスイッチである。プライドの高い私は、この15年で流した涙の数は5回。どれも、相当な理由があった。一つは17歳の頃の、父親の死だ。そこで私は久々に、『封印していた涙』を流すことになった。涙とともに、封印していたものがあったのだ。それは、人に弱みを見せるということである。何しろ人は、弱みを見せるとそこにつけ込んでくる生き物だ。私の場合は、家庭内で宗教を強要され続けた。クリスチャンになることを常に強要され続けていたのである。

 

 

それは『親なりの愛』だということなど、知っていた。しかし、私の心は宗教を求めていなかった。

 

(私の子供だ。きっと今から保険をかけておかなければ、この先の人生で苦しむことになる。)

 

そういう愛情があったことだろう。だが、私の心はそれを求めていなかったし、今も、これからも絶対にそれを求めない。私がここまで頑なになってしまったのは、間違いなく幼少期の家庭内にあった問題が、大きく影響しているのである。弱みを見せなくなり、涙を封印した理由も、それが大きい。だが、それによって失われた『人としての感情』が、冷徹無比な私の人格形成へと繋がり、父親が死ぬとわかった時に私は最初、

 

(死ね、と思っていたから本望だ)

 

という方向で、まず思慮を働かせていた。しかし、私は実の父親が死ぬとわかったときに、涙一つ流さない自分に、『違和感』を覚えていた。

 

自由になりたい。自分らしくありたい。人間らしくありたい。そう固く誓って、これまでやってきた。誰の言うことも聞かなかった。誰の言うことも信用できなかった。信用できるのは自分しかいなかった。

 

だがどうだ。確かに親は恨んだし、死ねばいいと思ったが、いざ死ぬとわかったときに取った自分の態度は。本当に人間なんだろうか。

 

そのときだ。私の頬をつたったのは、一筋の涙だった。私はその涙によって、間違いなく『何らかのスイッチ』が入ったことを悟った。まるで、『ダムの水』だった。私は堰を切ったように、それまで封じ込めていて、蓄積された様々な鬱憤を、涙に乗せて、外へ放出していたのだ。その鬱憤がすっかりなくなった頃、私の身体は軽かった。父は死んだが、私は父が自分の命を賭して、『このスイッチを押す』という愛を注いでくれた、と考えることにしている。キルケゴールが言う言葉にも、そんな背景が込められているだろうか。

 

 

 

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