偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]共和政ローマの哲学者 キケロ(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
どんな瞬間をピックアップして考えてみても、義務、責務、責任、使命から逃れられた人間はいない。そうすると、どこか重苦しく、堅苦しく、窮屈な印象があるかもしれないが、別にそんなことはない。考え方を少し変えて理解したらいいのだ。例えば、海辺で仲間と楽しく酒を飲んだとしよう。
久々の仲間との馬鹿騒ぎだ。いやあ、楽しかった。普段、仕事に追われる毎日で、本当に大変だったのだ。今日ぐらいは良いだろう。明日も休みだ。パーッと騒いで、いいリフレッシュをして、また仕事のことは後で考えれば良い。とにかく今日は楽しまなきゃ損だ。気づけば砂浜で寝ていた。そろそろ帰ろうか。飲みすぎて頭が少しくらくらするが、明日は休みだ。家でゆっくり休もう。皆とお別れをして、車に乗り、エンジンをかけて人気のない薄い山道を走った。
─そのときだ。
ボゴッ、ガガガッ!!
車内に鈍い音が鳴り響き、車体が大きく揺れた。嫌な予感がして慌てて外へ出ると、そこには一人の少女が血だらけで倒れていた。
頭が痛い。酒を飲み過ぎたせいだ。目の前に現実を理解するのに時間がかかる。これは夢なのか、現実なのか。彼もさぞかし職場で色々あっただろう。悩みも抱えていた。そんな最中の、とある骨休みたるひと時だっただろう。
しかし、心に刻み、頭に焼き付けたい。
『瞬間も、義務なき時なし。』
宗教家、御木徳近は言った。
最後の一呼吸までが、人生なのだ。そしてそれは、他人の人生も、同じように言えるのである。自分以外の人生を思いやる心を忘れれば、自分にそのしっぺ返しが来る。そう考えると、他人の為だろうが自分の為になるし、自分の為にやっても他人の為になるということ。いっぱいいっぱいになる人間というのは、往々にしてエゴイストだ。自分の人生のことだけを考えているから、それが満たされれば恍惚の表情をして見せ、それが満たされなければ慌てふためいて見せる。
しかし、自分がそれに貢献することで、救われる人がいることに喜びを覚えられる人は、自分のことがおろそかになっても、慌てふためき、いっぱいいっぱいになることはない。何しろそういう人は、自分のことなどどうなってもいい、という、没我の心があるからだ。
トルストイは言った。
あるいはこうも言った。
『愛は人生に没我を教える。それ故に愛は人間を苦しみから救う。』
自分の命を『使い切る』ことを念頭に置いた人間なら、自分の命がすり減る事実に、喜びを覚えるはずだ。それがないなら、自業自得である。何しろその絶体絶命の窮地は、そもそも自分がそのエゴを押し出してしまい、言うなれば『突我』にひた走ったことで捻出された結果なのである。
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