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菊池寛『人への親切、世話は、慰みとしてしたい。義務としては、したくない。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

偉人

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ふむ…。

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目次

考察

『慰み』というのは、心を楽しませること。『慰め』というのは、心を落ち着かせること。どちらにせよ、相手の心を落ち着かせ、楽しませるその心は、純粋無垢なものであり、清廉潔白なものでなければならない。そうじゃなければ、慰みでも慰めでもなく、違うものになる。例えば、『義務』ということになると、もうちょっと色で言えばくすんでしまうことになる。

 

 

せっかく純粋に、そう決意したというのに、妙なものが介入してしまうことで、当初のモチベーションが無くなってしまうことになる。私は、偽善や社交辞令が大嫌いだから、不必要に表層を象ることをしない。しないが、いざ目の前で人が助けを求めていた時、それを助けられるように体は鍛えられていて、あるいは、精神を整えてある。

 

例えば、先日もエレベーターの中で、ぎゅうぎゅう詰めになった。エレベーター内で、知り合い同士で臆することなくお喋りをすれば、さも『自分たち、空気に呑まれない強い人間です』という雰囲気を醸し出せるが、階に到着したとき、入口付近にいた女性が『開く』のボタンを押しているというのに、一人、また一人と彼女の前を無言で通り過ぎていく中、『ありがとうございます』とお礼を言ったのは私だけだった。その瞬間、その声を荒げていた『強い人間』の弱さは、露呈した。

 

女性は私に深く会釈をして、報われた気分に包まれていたようだった。私でもそうだから、その気持ちはわかるのである。普段、社交辞令に甘んじている人間ほど、礼儀を知らないのである。しかしその女性も、『義務ではなく、慰みとしてやっている』と考えていたなら、何人自分の前を素通りしても、気にならないだろう。

 

 

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