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ガンジー『私たちのように未完成な人間に、何もかも完璧にこなせるわけがない。私たちにできるのは、その時その時の妥協点を探ることである。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次

考察

宮沢賢治は言った。

 

だが、それでも完成を求める。これが『人間の最高到達地点』だ。永久に完成することは無いが、一生完成を求める。それこそが、人間が在るべく最も崇高な姿である。これだったら、別に障害、病気、差別、貧困、実にどんな状況下にいる、どんな人間でも当てはまる。全ての人間がこの姿で在ることが出来るのだ。

 

人間

 

だが、ガンジーや宮沢賢治の言うように、人は一生、完成することが無い。しかし、だからといって『完成を求めない』ことは、怠惰である。それよりも人間の命を心底から突き動かすのは、それが完成かそうでないかはさておき、全身全霊の力を振り絞ってみせた、人間の生き様である。『限定された要因』故、(これは無理か)と妥協することはあるだろう。だが、(これは無理だが、あれなら出来る)と常に前を向く人間の姿勢は、全ての生きる命に、勇気を与えるのである。

 

『私たちのように未完成な人間に、何もかも完璧にこなせるわけがない。私たちにできるのは、その時その時の妥協点を探ることである。』

 

私の家族はほとんどがクリスチャンで、私と兄だけ違う。しかし、冠婚葬祭まで断固として拒否するのは私だけだ。私は無宗教故、『お前たちが自分の宗教を押し通すなら、俺も自分の宗教を押し通す』として、無宗教者であることを貫いている。

 

クリスチャン

 

つまり、葬式仏教もやらないし、牧師を入れる結婚式もやらない。当たり前だ。イスラム式だろうがユダヤ式だろうが、神前式だろうが関係ない。無宗教として自分の流儀を貫き、他の人がやっているからという理由でそういう軽薄なことはしないと決めた。本当は、もっといい解決策があるはずである。だが、彼女らにその宗教をやめさせ、心を崩させたいとは思っていない。しかし私とて人間であり、心が一切そちらに向いていいないのに、自分に嘘をついて宗教儀式を軽はずみに行うことはできない。

 

我々は他の家庭とは少し様子が違う。食事も一緒に摂らないし、旅行も行かない。途中で宗教のニオイが少しでもすると、私の心がかきむしられるからだ。食事の前にお祈りをささげると、私は虫唾が走るのである。これはもう幼少期に植え付けられたトラウマだから仕方がないことだ。

 

ちなみに私は、四聖』に数えられる、

孔子

孔子

ソクラテス

ソクラテス

ブッダ

ブッダ

キリスト

キリスト

 

世の偉人たちと向き合っている。

 

偉人

 

詳しくはこのサイトを見ればわかることだ。そのうえで無宗教なのである。アインシュタインもユダヤ人の代表として扱われることもあるが、彼自身は実際は無宗教で、葬式も12人程度の身内しか来ず、一切の儀式も取り入れなかった。実に共感できる話だ。他と様子が違い、完全な和が取れず、軋轢が起こる。多様性を尊重し、各人の個性と価値観を大切にするから、それぞれの歯車には差異ができる。だからこそこうして、その異なった形の歯車同士は、うまくかみ合うことができない。

 

歯車同士

 

だが、それでも人間はその中から妥協点を見つけて、生きていくしかない。いや、『しかない』という言葉は悲観的で好きではない。『そうすれば生きていける』のだ。

 

 

 

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