偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け


ふむ…。
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目次
考察
ハクスリーは、死ぬ間際に人生で学んだことを想い返して、簡潔な言葉でこうまとめた。
『お互い、もっと親切にしようではないか。』
『死ぬ間際』というのは、ある種の達観であり、悟りの境地である。何しろもう、『執着』という毒に蝕まれないで済む。それは仏教の開祖、ブッダが説いた、悟りの境地なのである。
人間は、私利私欲、煩悩、サタン、悪魔、どんな表現でもいいが、まるでそれらに『憑りつかれている』かのように、我を失い、過ちを犯し、罪を重ねては後悔する、愚かな生き物である。しかし、それらの源である『執着』から脱する時、人はこの世の一切の苦しみから解放される。それが仏教の教えの真髄である。もちろん仏教だけではない。キリスト教もそうだ。儒教もそうだ。皆、同じ本質を突いた助言をしてくれている。
私の父親はクリスチャンだった。だから死に際の言葉の中には、
『もっと自分の信仰を、一人にでも多くの人に伝えるべきだった。』
というものがあった。これは、それまでもクリスチャンでいたはずなのだが、死の床に着くとき、更に新たな境地を見たという証拠なのである。アメリカの詩人、ディキンソンは言った。
なぜ、『うるさい蝿の羽音』が聞こえたのだろうか。なぜ、部屋の静寂が、『いつもとは違う様相を見せた』のだろうか。そこまで考えると、ハクスリーのこの言葉の重みが、ぐっと深まるのである。
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