偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]アメリカの哲学者 エマーソン(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
その前に考えなければならないのは、広告の神、クロード・ホプキンズのこの言葉、
というものである。あるいは同じエマーソンならこの言葉だ。
そもそも、『常識ほど非常識なものはない』という認識が前提。まだ少しでも疑いがあるのなら、極めつけはアインシュタインのこの言葉だ。
さて、それがわかった上でだ。ここで出ているエマーソンの2つの言葉を熟読してみる。
『常識や率直なふるまいほど人を驚かすものはない。』
すると、
『非常識な常識に流されるほど無知なことはないが、しかし、それがわかった上であえてその行動を取ることは、高潔である。なぜならそこには、意志がある。意志がある人間が故意にしてみせる振る舞いとは、往々にして義に徹し、私欲を支配した、崇高な佇まいを見せるのだ。流されて取った常識的な行動とは、わけが違う。主体的だからである。』
というイメージを思い浮かべることが出来るだろう。主体的に礼儀を重んじる人は、いつ見ても凛としている。また、『流されるのは無知だ』と言ったが、実際には『流されてそれができない』人がいるのが現実である。普段何気なく挨拶をして、社交辞令に重きを置いているような人は、ここでいう『常識に流されている人』なわけだ。だが、その人が『土壇場』でもそのような社交的な態度をとれるかどうかは首をかしげざるを得ない。
人間の本性が出るのは土壇場である。土壇場になってもまだ他人のことを気遣う勇気がある人は、そう多くはないのである。皆自分の命を優先にしたり、人目を気にしたりして、主体的になれない。なるのは『自分本位』だ。そういう場で主体性を発揮できる人間は、ごくまれである。
ヘミングウェイは言った。
土壇場で品位を失わない人は、『勇気ある人』だ。つまり、あまりそういう人の数は多くないのが現実なのである。しかし、そんな中でも勇気を振り絞り、主体的である人間がいる。そういう人はエマーソンの言うように、常識的で、率直なふるまいをしてみせる。いやむしろ、『今こそがそう行動するべきだ』として、主体性が内からみなぎってくるのだ。誰もが簡単に行える日常で何かできても、それで人が驚くことはない。だが、土壇場になって『常識的で率直なふるまい』を取れる人に対しては、みんな、尊敬の念を抱く。
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