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エピクテトス『人間の本性には、動物と通い合う肉体と、神々と通い合う理性・英智とが混じり合っている。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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目次

考察

『通い合う』というのは、ぴったりくる、しっくりくる、意気投合する、という意味だ。従って、『動物と通い合う』というのは、『人間は他の動物と何ら変わりはない一面がある』ということ。そして『神々と通い合う』というのは、『人間は他の動物を超越した一面を持っている』ということ。

 

シェイクスピアは言った。

 

聖書における『ヘブライ人の手紙』には、『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。

『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』

 

つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。

 

 

その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。だとしたら、見えて来るのは『聖性を優位にし、魔性を劣位にする』ということで、そこにあるのは、魔性と聖性の真剣勝負である。更に言えば、昨今一部の狂信者が世界を騒がせているが、イスラム教における『ジ・ハード(聖戦)』とは、何も人を惨殺することを許可する、という凶悪な概念ではない。

 

『神の為に奮闘する』ことを意味し、つまり、その『神』というものは、しばしば『愛、真理』と『=』であると考えられるわけで、例えば、『人に裏切られ、殺意を覚えた』というとき、そこに現れるのは間違いなく『魔性の疼き』であるわけだが、しかし、それを聖性の力で劣位にさせよう、という『闘い』こそが、この『ジ・ハード(聖戦)』なのである。

 

ドストエフスキーは言った。

 

人間はその一生で、『魔性を劣位にする闘い』をやり遂げる試練を課せられている。人間が動物的になり、魔性に支配されたとき、それは、神(真理・愛)から遠ざかったことを意味し、そこには虚無が訪れる。

 

 

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