偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け


[adrotate banner=”6″]
考察
だとすると、読書というものは『節約』することが出来る。読書時間の節約だ。大幅に、カットすることが出来る。無駄な読書を辞め、無駄な暗記を辞め、必要不可欠なエッセンス(本質)だけを抽出し、そこの焦点を合わせることで、大幅に節約することが出来る。全て嘘で構成された黒魔術で、人を殺す方法が載った本をいくら読んでも、何の参考にもならない。
読書は、『速読』、『熟読』と方法があるが、まず大雑把な大量の速読によって、ポイントとなる点を抑えておく。そしてそこに付箋を貼って、保管し、後でまとめてそれらの本の、その近辺だけを熟読すれば、合計で10万ページもあったものが、100ページほどに絞りきることが出来、後の『水増し記事』に付き合わされる時間をカットできる。そもそも人間の学習の原則は、覚えることではなく、『諦めること』だという。オギャアと生まれて、まずどの国の親に生まれるかだ。もしドイツ人の親の下に生まれたのなら、日本語や中国語を覚えることは『諦める』必要がある。
いや、言語というものはどの言語が正しいとか、間違っているということはないが、自分が暮らす環境の言語がドイツ語なのであれば、日本語を覚えることは、甚大な弊害となる。その様にして、『諦める』ことを繰り返し、自分というオリジナルな要素を構築していくのだ。そう考えると、結局人は『弊害にならない為の要点』を押さえることに重きを置いていて、だとしたら、『人生の弊害にならない要点』というものが浮き彫りになるわけだが、だとしたら、そこに当てはまるピースは、もう一つしかない。
『愛(=神=真理)』だ。『四聖』に数えられる、
孔子、
ブッダ、
キリスト、
彼らが説き、教えているのも、それなのである。例えば、読んだ本の記事に、

という内容が書いてあったなら、そこに『愛(=神=真理)』の存在はあるだろうか。無いなら、それは『カット対象』の無意味な情報である。
[adrotate banner=”7″]
関連する『黄金律』

同じ人物の名言一覧
