偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
考えるのはいいことだ。書斎で思慮にふけ、本を読み、創作活動をすることは知的である。
フランスの哲学者、パスカルは言った。
パスカルの言う様に、むしろ私は、一人で内省する時間を確保できない人間に、可能性などないと断言したい。なにしろ、『四聖』に数えられる、孔子、ソクラテス、ブッダ、キリストの教えの共通点こそが、『自分の心と向き合う』ということだったのだ。だがもちろん、それを踏まえたうえで考えるべきなのは、『この世』とは、机の前だけではないということ。
世界のスズキ、鈴木修会長は言った。
あるいは、小説家、田山花袋は言った。
もし、思慮にふけこみ過ぎて、頭が混乱し、人間や世間に対して不信感を抱いてしまうようなら、机の前からにいつまでも座ってないほうが良い。
ゲーテは言う。
あるいはこうも言う。
まずは旅をするのだ。実際に自分の足でその地に向かい、苦労して絶景に辿り着くべし。そこから見える世界は、テレビで観る景色とはまるで次元が違う。我々はこの地球に生まれて、そして死んでいく。その中で何が出来るか、自分と対話するのだ。それは、机の前でした対話とは全く違うものになる。従って、このたった一度の人生に対する新しい見解が生まれ、この人生を悔いの無いように生きようと、誓う事だろう。
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