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アダム・スミス『我々が食事をできるのは、肉屋や酒屋やパン屋の主人が博愛心を発揮するからではなく、自分の利益を追求するからである。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]イギリス哲学者 アダム・スミス画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察

マザー・テレサは言った。

 

だとしたら、すべての人々が博愛心を発揮すればいい。肉屋や魚屋やパン屋だけではなく、全ての人が協力して支え合って生きていけばいい。それは私が、幼少期の頃に抱いた感想と、全く同じものである。しかし私は、人性を前に進めていくたびに、(それは無理だ)ということを悟っていったのだ。人間とお金の関係は、もう切っても切れないところまで浸透しきっているのである。

 

 

しかし、『更に』人生を前に進めると、こういう事実に直面することになった。

 

孔子は言った。

孔子

 

孔子は、法治国家に賛同していなかった。孔子の理想とするところは、道義心が社会の隅々にまで行きわたり、法律など不用な世界だったからである。

 

道教の創案者、老子は言った。

 

そもそも『仁義』という概念を人間が謳うようになったのは、それを掲げて依存して、道標としなければならなかったからであり、別に必要なかった。もっと本筋であり、本道があったのだ。それが人の生きる道だったのである。つまり、だとしたら『蔓延しているからといって、それが正しいわけではない』ということになるわけで、私は『悟った』などと言ったが、ただ『妥協した』だけに過ぎず、知ったかぶりをして楽をしていたのである。マザー・テレサ、孔子、老子、これらの人物が言う意見と、『蔓延している意見』。どちらに重きを置くべきかということは、愚問である。

 

尾崎行雄は言った。

 

自分の利害損得に執着し、それを原動力とする人間は、『人間』の称号に相応しくはないのだ。

 

 

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