偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
新渡戸稲造は言った。
だから、称賛に値するのだ。本当は。しかし、それを自分で言うことは無いということである。あくまでも他人が言う場合にのみ、称賛が許されるのだ。しかし、そこでそれに甘んじているようでもいけない。

いや、あれは義務ですので、当然のことをやったまでです
と言い切れる人間は、傍から見ていて清々しい。清々しさを覚えるということは、そこにあるのは間違いなく『すっきりした道』だ。『害虫とゴミだらけの悪臭が漂う道』を見た時、あまり人間は『清々しい』とは思わないものである。つまり、『正義』だ。仁義を貫き、人としての道義を果たした。義を重んじた人間は、間違いなく清々しいし、偉いと思う。
しかし、『偉い』というのは、『俺様は偉いんだ』と思い上がる人間も使う言葉である。傲慢であり、自惚れている人間だ。こういう人間に『偉い』と思わせると、越権行為にひた走る。それ故、アウグスティヌスの様な言い回しをすることが、非常に重要な抑止力となる。
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