仏教の開祖 釈迦(画像)
内省
つまり、ネガティブなことを考えたり口にしたりするぐらいなら、何も考えずにボーっとテレビでも観ている方がまだいい。
孔子は、
『腹いっぱい食って、一日中のらくらりして一向に心を働かさないというのは何とも困ったものだ。それなら博打や双六といった勝負事をしたほうがまだマシだ』
と言ったが、もちろんそれは、何もしない→ポジティブの図式通りだ。何もしないでテレビを観ているよりはもちろん、何か身になる経験を積んだ方がいい。人生の無駄遣いをしてはならないという考え方からだ。成功だけではなく、失敗だって人間にとっては大きな教材。何もしないで時間を無駄にするよりは、積極的(ポジティブ)に何かしら行動し、それで失敗しようが成功しようが、その経験から得る物で、いずれ前を向いたときの自分への栄養(糧)にすればいいということだ。
もちろんもっと言えば、『何もしないで時間を無駄に過ごす』ことも『経験』の一つだ。私なども無職の時期が一年以上あったが、今でもその時期の虚しさが体中に染みついて、 (暇な時間を作ってはならない) という意識に自分の生活を支えられている。(だがさらに言えば、その時期に私は漫画を読んだり、ゲームセンターに行ったり、 夜遊びをしたりしているので、『何もしない』ということには当てはまらない。どちらかというと孔子の言う『博打や双六』をやっていたことになる。)
とにかく人間は何でも教材に出来る能力を持っているのではあるが、しかし『ネガティブ(消極的、悲観的)』という発想は善くない。なぜなら、『人殺し』などという発想も、『自殺』などという発想もみな、『ネガティブ』だ。これに関しては、取り返しがつかない。
もちろん人間、やり直そうと思えばいつでも人生をやり直せるが、いささか、取り返しがつかないことをしてしまっては、その難易度は極めて高くなるだろう。それに、殺されてしまった人は、二度とやり直すことが出来ない。その罪は、とてもとても、重いのだ。そんなことをしなくてもどうせ人皆死ぬのだ。だとしたらたった一度の人生をポジティブに生きることが賢明である。
参照文献
補助的分析(AIによる語彙・背景・正確性の中立整理)
※本節では、運営者の内省(言葉だけを見て内省した解釈)ではなく、AI(ChatGPT)による「中立性」と「正確性」を基準に、今回の名言を整理します。名言の多くが出典未確認である現実を踏まえつつ、語彙・背景・意味領域を客観的に位置づけます。
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