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論語より|無知を引き受ける者だけが得る判断の静けさ

儒教の始祖 孔子画像

目次

内省

孔子もソクラテスと全く同じことを言っている。私は早くからこのこと、つまりソクラテスのいう『無知の知』を知っていたから、(それを乗りこなしていたわけではないが)まあ、見栄と虚勢だけで生きて、『無知の知』を知らない人間には実に多くの勘違いを受けた。私は謙遜しているだけなのに、『それが実寸大だ』と思いこむのだ。

それは人間が、『自分は相手よりも上の立場でありたい』と願う虚しい思いと、『自分の存在が価値あるものでありたい』と思う儚い願いを抱えているからなのである。

これは面白いのだが、私が生きたそういう世界でも、そういう彼らをまとめるような上の立場であればあるほど、彼らのように安易には誤解せず、『眼』を褒めてくる。『いい眼をしているね』などと言ってくるのだ。本当に数えるぐらいしかそういう人はいなかったし、そしてそのメンツがすごいのである。上は上でも、極めて上で、一人一人が名を馳せる人物。 逆に、『中途半端に上』の人間では、他の人と何も変わらないのだ。

『眼』には人生がにじみ出る。波乱万丈な人生を生きる彼らの『眼』には、『見識』が備わっているのだ。人の心を読むことは出来ないが、『眼』を含めた立居振舞、態度を見ることは出来る。そういう人は、逆に、表層的にだけ取り繕って『味方面』をしていた人間に裏切られたり、いざという場面で身体を張る人間がどういう人間か、見てきたのだろう。

私がやっていた『無知の知』を、私の周りは理解できないから、常々、私は『何を考えているかわからない』と思われることがあったが、わかる人には、その『眼』を通じて、意志の強さや、土壇場での根性などを見抜いたのである。

だがそれは私にとっても10年近く前の話だ。『眼』を見て見破られるのは、今の私からすれば未熟である。まず、『眼を見てもらおうと思っている』ことが露呈している。つまり、『理解されたがっている』。それは、『自己顕示欲』の表れであり、未熟だ。その相手に理解されようとして必死。

別に彼らは、かつてこそ『上の立場』だとは思っていたが、歴史に名が残るような人のわけでもない。そんな人に対して『理解されたがっていた』というのは、いささか未熟である。それならば、『何を考えているかわからない』と思われていた方が、人生にアドバンテージ(有利性)を得られる。

以前、自分のプロフィールに 『俺は駆け引きが天下一品だ!』と書いている人がいたが、彼もまた『自己顕示欲』に支配される、未熟な人間の一人である。もし本当に『駆け引き』にアドバンテージを得たいのなら、私なら、『駆け引きなんてしたことがない人間』を装う。

『特命係長只野仁』などがわかりやすい例だ。自分のことを『無知』で、『無力』だと認めることは、見栄や虚勢に支配された『未熟』な人間にはできない。それを演じることも、また然りだ。

当時の私で言えば、誤解されることに耐えるだけの器を持ち合わせていなかった。そう考えると、まだまだ未熟なのである。もちろん今でも抜けきれていない。それよりも更に前の私、つまり『全知全能だと思い込んでいた』時期の、私の悪友との会話を思い出すと、

なんだよその心理学者みてぇな奴は! きもっちわりぃな!

などと、支離滅裂で、意味のある会話などしていない記憶しかない。とにかく、なぜか心理学者を『=オタク』だと歪曲して解釈していて、そういう風に振る舞うことや、あるいはそれらの分野の本を、まるで黒魔術の本を読むかのごとく批判し、それを読んでるような奴は頭がイカれていると思い込んでいたのだ。

だから本も読まなかった。人の意見も聞かなかった。そして自分ではそれが『馬鹿だから』と少し劣等感を覚えていたにもかかわらず、更にそれを見栄でもって包み隠そうとしていたのだから、悪循環だったのだ。

確かに、『馬鹿だから本を読めない』のは事実だ。だが、『馬鹿だから、理解できないから、本が読めない』のではなく、『馬鹿だから、自分が本を読めないと思い込んでいる』ということ、そして、『馬鹿だから、自分が本を読む必要がないと思っている。つまり、自分が全知全能だと思い込んでいる。あるいは、世の中を知り尽くしたつもりでいる。』ということなのだ。

それから本が読めない、人の意見が聞けない理由にはもう一つあり、

それよりもまず先に解決しなければならないことがある

と、脳が、心が、身体中が自分にサインを送る場合があるのである。こういう人は、実は『優先順位』をよく理解していて、実は『賢い』のである。つまり、『隠蔽』出来ない体質なのだ。他にもっと重要な問題を抱えているのに、それが解決する前に次に進むことは出来ない。そういう人は、そういう魂の訴えに、従順なのだ。

親も含めたすべての教育者は、『無知の知』を考えたとき、対象者に本を読ませたい、学校で学んでもらいたいと思うことだろう。だがその時に、相手がスムーズにそれを受け入れないときは、彼らが『他に何か問題を抱えている』可能性がある。

多くの場合は、その問題は『家庭内』にある。それを一緒に解決してあげるのも、教育者の役目だ。もちろんその問題は、知性がなければ解決できないだろう。そこで、教育者を語る自分自身が、その人生でどれだけ『無知の知』を重んじてきたかが露呈する。

幸せを追求するのはいいが、拝金的になり、あるいは表層的な形式だけをクリアし、 それで幸せをつかんだと思い込むのはやめたほうがいい。幸せとは、『スムーズな人生』を送ることだ。スムーズな人生とは、もちろん経済的な問題もあるが、支出の少ない暮らしでも『スムーズだ』と満足できる心を持ち合わせているかどうかが問われている。

『金さえあればスムーズだ』と勘違いして拝金的になったり、あるいは『自分の敷いたレールを歩かせればスムーズだ』と思い込んで、子供に何かを強要したりしていては、必ず『歪み』が起きる。『歪み』が起きてしまったら、それは『スムーズな人生』とは言えない。

トラブルは起こる。思い通りにはいかない。だが、それでもそのたびに前向きにその問題と向き合って解決したり、あるいは『思い通りにいかないということは、逆に思わぬ良いこともあるということだ。』と思える人生こそが、『スムーズな人生』なのだ。

人生は、登山だ。登山の最中は、大変だ。だが、後で振り返った時に人生のハイライトを思い返すと、どう考えても、その『大変な登山中』がそうだったことに気が付くだろう。『スムーズな人生』とは、『大変な登山中』に、『これこそが人生だ』と思えるような、そういう人生のことなのである。『無知』、そして『無力』を知って、そう心構えて生きていくことが、本物の知者なのである。

注意
※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、運営者が独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

参照文献

為政第二-十七
子曰く、由よ、女にこれを知ることを誨えんか。これを知るをこれを知るとなし、知らざるを知らずとなす。これ知るなり。

補助的分析(AIによる語彙・背景・正確性の中立整理)

※本節では、運営者の内省(言葉だけを見て内省した解釈)ではなく、AI(ChatGPT)による「中立性」と「正確性」を基準に、今回の名言を整理します。名言の多くが出典未確認である現実を踏まえつつ、語彙・背景・意味領域を客観的に位置づけます。


タイトル

論語より|無知を引き受ける者だけが得る判断の静けさ


一般的な解釈

この文章は、「自らの無知と無力を正確に認識できるかどうかが、人間の成熟と判断の質を分ける」という趣旨を持っています。
これは特定人物の発言を再現したものではなく、**論語**に見られる思想的核、すなわち「知っていることと、知らないことを区別する態度」を、現代的な経験論と照合しながら再構成したものです。

当該思想は、春秋戦国期において、知識や地位を誇示する態度が蔓延する状況の中で、人間の判断がどこで歪むのかを見極めるために形成されました。
本構文は、「自己卑下と謙虚の混同」「自己顕示と実力の錯覚」といった誤解されやすい対立軸を整理し、静かな判断力こそが成熟の証であるという核心を浮かび上がらせます。


思考補助・内省喚起

この文章は、「自分は何を知っており、何を知らないままにしているのか」という問いを読者自身に向けます。
私たちは日常の評価・人間関係・学習態度において、理解されたがる衝動や、賢く見られたい欲求に判断を委ねていないでしょうか。

これは慰めや自己肯定のための文章ではなく、自身の未熟さを引き受けた上で、どこまで判断の精度を高められるかを問う、内省の起点として機能します。


翻訳注意・文化的留意点

文化的背景:
本構文は春秋戦国期的文脈を背景としており、「知」「無知」「賢さ」といった語は、現代的な学歴・情報量とは一致しません。翻訳に際しては、能力評価や知的優劣の断定へ短絡しない配慮が必要です。

語彙の多義性:
「知」は、情報の多寡ではなく、自己認識の正確さを含意します。
倫理的態度・判断原理・内面的成熟のいずれにも解釈が分岐し得るため、直訳ではなく構造訳が求められます。

構文再構築:
原思想に含まれる逆説(無知を知ることが知である)は、日本語では説明的になりやすいため、文脈の整理と抽象化が不可欠です。


出典・原典情報

参照思想:
(論語:為政第二・十七)

※本文章は、一次資料の逐語引用ではなく、思想的趣旨を踏まえた再構成・内省用超訳である。


異訳・類似表現

構造違いの異訳例:
「自分の限界を誤らずに把握することが、知の出発点である」

思想的近似例(日本語):
「知らぬことを知らぬままにしない態度こそが、人を賢くする」── ※出典未確認

思想的近似例(英語):
“Wisdom begins where one accurately knows one’s own limits.” ── ※出典未確認


タグ(思想分類)

#三聖思想 #戒め構文 #判断原理 #責任構造 #認識論 #内省


語義分解(主要キーワード)

用語 定義 補足
無知 知らない状態そのもの 劣等ではなく前提条件
無知の知 自らの無知を自覚している状態 判断の精度を高める基盤
人生経験が滲み出る認識力 知識量では代替不可
自己顕示欲 理解されたい衝動 未熟さの兆候になりやすい
スムーズ 歪みを最小化した生の進行 困難の不在を意味しない

位置づけ構文(思想国家における構文的機能)

この文章は、
「慰めではなく戒め/肯定ではなく精査」という
思想的立場の転換を内包しています。

構文としては、
「逆説構文」「認識修正構文」「責任帰属構文」に分類され、
思想国家における判断精度・自己認識・真理照合の中核構造と連動します。


感受対象(思想UX設計における対象読者)

・自己理解に違和感を覚えている読者
・賢さや評価に疲弊している層
・構造として成熟を捉え直したい探究者


この文章を更に5つの視点から再考する

※将来的に 判断軸/時間軸/倫理軸/構造軸/結果軸 へ分岐予定。
本稿は親記事として導線のみを保持する。

➡ 『これを知るをこれを知るとなし、知らざるを知らずとなす』をさらに深めて読む
(ここに静的HTMLリンクを手動で貼る)

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