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寺山修司『人間は中途半端な死体として生まれてきて、一生かかって完全な死体になるのだ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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目次

考察

イギリスの作家、アレキサンダー・ポープは言った。

 

イギリスの小説家、ガイ・ベラミイは言った。

 

ドイツの社会学者、マックス・ヴェーバーは言った。

 

実に興味深い話である。

 

ブッダは言った。

ブッダ

 

つまり人間とは、生まれたその瞬間から、腐敗が始まっている。既に衰弱して、衰退していたのだ。だから、生きている間に細胞が劣化していくことも、その間で起きる辛いことも悲しいことも、病に侵され苦しむことも、そして死ぬことも、別に当たり前だったのだ。

 

『死体』なのだから。つまり『人生』とは『死に際』である。普通、死に際には人の本性が出る。だが、往々にしてそれは、(もうすぐ死ぬ)ということを自覚しているということが前提だ。そこではじめて素直になり、ようやく真理に目を向けることができる人も多い。

 

人生

 

だが、この人生が死に際ではなく、永遠に続くと思っている人間は、エゴチズムに支配されている。隠蔽し、捏造し、自分の都合のいいシナリオに依存し、曇った目で誤った道を選択し、罪を重ねている。

 

『人間は中途半端な死体として生まれてきて、一生かかって完全な死体になるのだ。』

 

『中途半端な死体』なのだから、そういう時期があってもいい。子供時代なら皆未熟なのは当たり前だ。わがままに、自己中心的に生き、救える人の数も少ない。それは全然かまわない。

 

だが、この人生がいつまで続くかわからないのに、まるで永遠に生き続けるようなふりをして、真理から目を逸らし、道を踏み外すのは間違いだ。この言葉は、『どうせ死体なんだし、最後には完全な死体になるのだから好き勝手にやっていい』という言葉ではないのだ。

 

『人生』とは『死に際』である。普通、死に際には人の本性が出る。つまり、今出している自分の姿こそ、自分の本性だ。そう考えたとき、そんな自分を本当に誇りに思えるか。自問するべきである。

 

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