偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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考察
それを『後始末』と言い、人間がしなければならないのは『前始末』である。もっと言えば『底始末』だ。上から順に、反省、内省、内観という方法で、その決心を固めることになる。
『宿命』などと言っている暇はない。ストーカー殺人が起きてから、それに対する警戒レベルを上げる警察。彼らは事前に、相談を受けているのだ。だが、『過去の事例』が彼らの警戒レベルを上げない。

と言うのだから、だとしたらもう警察は、違う分野の自警団か何かに権限を委託し、助けを求めている者が救えないなら、『町の番人』の様な態度をするのは辞めた方が良い。命が失われてからでは遅いのだ。それは、被害者遺族のよく知るところである。
モンテーニュは言った。
人間はもうずいぶん前から、この『シーソー』の動きに支配されて生きてしまっている。経済学の巨人と言われたガルブレイスは、1636年のチューリップ狂の経験以来、 何も変わらないある法則を見極め、こう言っていた。著書『バブルの物語』にはこうある。
『個人も機関も、富の増大から得られるすばらしい満足感のとりこになる。これには自分の洞察力がすぐれているからだという幻想がつきものなのであるが、この幻想は、自分および他の人の知性は金の所有と密接に歩調をそろえて進んでいるという一般的な受け止め方によって守られている。』
バブルが膨らみ、そしてそれを過信して膨張的エネルギーに心を支配され、そしてあっけなく弾け、身も心も空になる。こういうことが、ガルブレイスが調べただけでも、もう何百年も前から行われているのだ。だがそんな中、『シーソー』に支配されない人間が、確かに息をしたのだ。その人間達は『偉人』と呼ばれ、未来永劫歴史の中で『人間の模範』として生き続けることになるだろう。彼らには『宿命』だとかという言葉は通用しない。その逆だ。『命宿』である。つまり、無き場所に命を宿すのだ。
我々が『常識』に支配され、『同調、追従』への依存から脱し、『その他大勢の一人』として生きることをやめないかぎり、オスカー・ワイルドの言う通りになる。そのことについて、一度じっくりと考える必要がある。また、下記の黄金律を見てみる。

ここから学べるのは『明日に先延ばしにすることの愚かさ』である。セルバンテスは言った。
『よい決心がつくのは、いつも時すでに遅し』とオスカー・ワイルドも言ったが、これは、『今この瞬間を全力で生きろ』という真理を突いたメッセージでもあるのだ。
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