偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
ソクラテスは言った。
“ナスカの地上絵は、上空からしかその概要を把握できない”ように、見る景色を変えると、見えて来る新しい景色がある。
自分が見ていた景色、つまりここでいうなら人間関係は、もしかしたら離れて見ると、とんでもないカルト教団だったということもあるかもしれない。あるいは、『ある絵』の単なる一部、つまりその他大勢の一人。自分が『友人』だと思っていたその『隣にいた人たち』は、気づいたら隣にいたからすっかり仲良くなって毎日話をしていたが、実は彼らは『ある絵』の単なる一部で、自分はただその『意志のない群衆の一人』と話をしていたにすぎないのかもしれない。
彼らは別に、自分じゃなくても良かった。ただ隣にいたから話をしていただけだった。

俺達ってこれでいいんだよな?

私達って最高の友達だよね?
まるで、隣人を通して自分にそう言い聞かせるように、彼らは話をする。彼らの目の奥は必死であり、彼らを前からよく知っている自分は同情するが、彼らはただ、自分の人生の正当化のことしか頭になく、隣人の人生など、自分の人生を正当化するために利用する、単なる『その他大勢の一人』だと考えているのかもしれない。
それは離れて見ればわかることだ。離れて見た時、その友人が『ある絵』からはみ出そうとしていることがわかれば、彼には『意志』があり、彼が自分に言った言葉には『思いやり』があった。しかし、離れて見た時、その友人が『ある絵』の一部にすぎないことがわかれば、彼は自分の友人どころか、自分の人生すら見誤る迷走者だったのかもしれない。
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