偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
例えば、孔子について書いた記事ではこういう一文がある。
儒教が確立してから隋の時代になり、科挙の試験が行われるようになると、『論語』は受験の為に丸暗記すべき書物となった。それによって『論語読みの論語知らず』が多数派となり、温故知新は絵に描いたモチとなった。
つまり、『論語』という圧倒的叡智が詰まった本を『眺め』はするが、内容を理解していないという、本末転倒の事態が起きたのだ。それはアインシュタインが、
とも言っている様に、全ての『勉強に携わった人間』に当てはまる普遍的な事実である。聖書も仏典も同じだ。そもそもキリスト教や仏教の本当の教えでは、『偶像崇拝(仏像、キリストの像を造って、それを祀って、崇めること)』を、してはならないのである。
ここまで考えると、 人間という生き物の思慮浅さを思い知るはずである。せっかく『思慮』を持って生まれた生命なのに、『でも、思慮深くあるのは難しい』と言い捨てることは、『命の無駄遣い』だと考えたことは無いだろうか。
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