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セネカ『汝を傷つけた人間は、汝より強い者か弱い者かのどちらかである。もし弱い者であれば、その者を許しなさい。もし強いものであれば、汝自身を許しなさい。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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考察

弱い人が傷つける場合も、強い人が傷つける場合も、共通しているのは『誤解(誤認)』である。つまり、真実を正確に認識していない。だからラインを超えてしまい、その超えた部分が自分にとっては痛いし、悲しい。そのラインの範囲内にある事実だけを話してくれれば傷つくことはない。それが正当な評価で、実際の姿だからだ。しかし強い(向上心のある)者は、

 

そのライン(限界)を越えろ!

 

と言ってくるし、弱い(人として無知な)者は、

 

お前にライン(人権)などない!

 

と言ってきて、とにかくライン(許容範囲)を超えて来るから、こちらはダメージを負う。しかし、セネカの言う様に、弱い者は、その中には当然子供も含まれているわけで、子供に対してムキになる大人は大人げない。強い者は、そもそもこちらの可能性を信じてあえて高く追及してくれるのだから、その期待値と、現状の自分との距離に対して憂う必要はない。どうせならライン(器)が広がるチャンスだと捉えることで、これは『負』の話ではなくなる。

 

距離

 

『汝を傷つけた人間は、汝より強い者か弱い者かのどちらかである。もし弱い者であれば、その者を許しなさい。もし強いものであれば、汝自身を許しなさい。』

 

この数か月間で、私は数人の他人に腹を立てた。しかし、そのすべての人が間違いなく私よりも人格的に内省を怠っていて未熟で、かつ体力も腕力もない。もちろん私はいずれ体力が落ちるし、知性が群を抜いているわけではないが、彼らが私をそのように扱うという事実だけを見れば一目瞭然であった。それであれば、私の取るべき態度は決まっている。彼らを許すことだ。私の方が『上』ならば、その上である人間が大人のふるまいをする責任があるのである。

 

『模範的な態度』がなんであるかを知っていればいるほど、相手の無礼な態度に心を痛めるものである。しかし、『模範的な態度』を知っているなら、そういうときの取るべき態度もわかっているはずなのだ。そこで『模範的な態度』が取れないのであれば、私は彼らよりも『上』にいるなどと、御託を並べてはならないのである。それを語る以上は、責任を取らなければならない。

 

 

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