偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
そもそも、『憎み嫌う』理由は何だろうか。相手の何を見てそう思ったのだろうか。相手の出生から、人格が形成される家庭を映画か何かにまとめて見た時、そこには相手への共感はないだろうか。感情移入や、理解はないだろうか。
例えば数字で考えた時、生まれたときが『0』。それから時間が経つごとに、『1,2,3,4,5、』と進んでいくとする。そうしたとき、『憎い、嫌いだ』と思ったその時の相手の数字が『52』だとする。その『52』辺りを見て、『憎い、嫌いだ』と思ってしまったわけである。
だが、『0』はどうだろうか。相手の『0』の時を想像したとき、本当に相手が憎いだろうか。
憎くないなら、問題なのはその人そのものではない。それまでに通った過程であり、強いられた環境だ。それによって汚された色の『澱み』を見ているに過ぎない。
虐め、虐待、親の離婚、理不尽、抑圧、病気、家族の死、裏切り、この世には、ありとあらゆる『汚れた色』がある。彼の白い色が汚れに染まり、澱みきったそのときの数字が『52』だったのであり、それ以前の数字のときは、決して憎く、おぞましい存在ではなかった。そんな風に考えた時、『人を憎まず行いを憎む』という言葉の意味が、より鮮明に見えて来るようになるだろう。
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