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新渡戸稲造『いわゆる十分に力を出す者に限って、おのれに十二分の力があり、十二分の力を出した者がおのれに十五分の力あることがわかってくる。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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目次

考察

そもそも『限界だ』と決めつけているのは、自分なのである。つい先日も指名が取れない人気インストラクターが、トレーニング中につらそうなポーズをとる人に対し、

 

自分で自分の限界を決めるなー!

 

と叫んでいたが、確かにその通り、特にそういうアスリートの世界では自分の限界値を決めつけやすくなってくる。それはもちろん、人間の可動域の限界ということもある。例えばバーベルを持ち上げるとき、『自分の限界を超える』と言って限界以上の重さを持とうとすれば、潰されて死んでしまう。怪我もそうだ。可動域を超えた動きを取れば怪我をする。

 

可動域

 

だが、そこまではいかないギリギリの範囲でトレーニングをする。そういうことが自分のパワーアップのためには非常に重要なのである。このことをおろそかにしていた時期が私にもあるが、その時期はやはり筋肉の付き方が弱弱しかった。これは本当のことなのである。

 

『限界だ』と決めつけているのは、自分なのである。もちろん、『ドリームキラー』という存在は他者にもいて、悪気の有無に関係なく、例えば親が、『あなたにはこれは無理だからやめておきなさい』などと言って、限界値を洗脳させて決めつけるということもあるだろう。だが、どちらにせよ最終判断は、自分でしているのだ。大人を名乗る以上は、人のせいにしてはならない。

 

私は数年前に、ドイツの小説家、ジャン・パウルのこの言葉を、真正面から受け止めて考えることを決意した。

 

するとどうだろう。みるみるうちに自分が今までとってきた行動を改めだしたではないか。それは、それまで私がとってきた行動が、『パラパラめくる人生』だったということの証明でもあり、この人生が本当に有限であるということの、証明でもあった。

 

『それ』を知らない人は、急にダッシュをした人の気持ちを理解出来ないだろう。もっとダラダラと、のんべんだらり、場当たり的に、気楽かつ刹那的に生きていった方が『楽』だ。そう考えているからだ。だが、このレースは、永久に続くフルマラソンではない。もうすぐ、ゴールなのだ。そして、一度しかないのである。それを心底から理解したとき、人間は、命を使い切ることを決断する。

 

決断

 

 

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