偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
カエサルは言った。
そこに書いたのはこうだ。
母親は私にクリスチャンを強要し続け、今も尚、そうじゃない私を目の前にして『イエス様』がどうとか言い出す。それは、『教育者』として本当に正しいのだろうか。いや、正しくない。彼女はもう何年も前から『教育放棄』をしている。『イエス様に身を捧げすぎて』、どこか思考回路が欠落している印象を持つ。
キルケゴールのこの言葉を見た時にすぐに思い出したのである。信仰とは、思慮と主体性を放棄し、その『主』を自分以外の誰かとし、身を預け、判断を仰ぎ、支配され、あるいは依存することを約束することを言うのだろうか私は、そういう人間の姿勢は、とても謙虚で素晴らしいと考えている。だが、同じくらいこう考えている。(楽をしやがって)と。
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