偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
[adrotate banner=”6″]
目次
考察
『私自身は生まれつき研究者である。無学の愚民を軽蔑した時代もあった。しかしルソーが私の謬りを正しくしてくれた。私は人間を尊敬することを学ぶようになった。』
『謬り』は『誤り』と読む。つまり、間違いだ。間違った考え方を、ルソーに正されたということ。これは別に、カントの場合はルソーだったので、それで問題はないが、別にルソーにこだわる必要はない。着眼点はそこではない。
『傲慢不遜な考え方を、真理によって正された』
という見解が正しい。ルソーは、その『真理』をまとっていたのであり、カントは、『ルソーを通して真理を見た』のである。私自身、『本を読む学者』を『がり勉野郎』と揶揄した時期もあるし、読むようになってからは『無知な馬鹿』と見下したこともあるが、まあ、こうして書いてみると自分本位かつ傲慢不遜も甚だしい。それは『真理』ではない。在るべき心の姿ではないということだ。
[adrotate banner=”7″]
関連する『黄金律』
あわせて読みたい


『知者?無知者?自分が振る舞っている人格はどっちだ。』
第35の黄金律 『知者?無知者?自分が振る舞っている人格はどっちだ。』 『無知の知』。それは、『人間は生涯、全知全能になることはできない』ということを悟る...
同じ人物の名言一覧
あわせて読みたい


カントの名言・格言一覧
プロフィール 名言一覧 『もっとも平安な、そして純粋な喜びの一つは、労働をした後の休息である。』 『宗教とは、我々の義務のすべてを神の命令とみなすことである。』...