偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
しかし、そうは言っても『後悔』が常につきまとうのが人生である。だがメナンドロスの言う様な見解を持つことで、その『後悔し得る要因』に対し、今までとは違う目を向けられるのである。私も後悔するのが嫌で、それにはクリスチャンを強要された2、30年という時間や、17歳で父を亡くした経験、あるいは取り返しのつかない軽薄な若気の至りが関係している。だがその時にはどうすることも出来なかった。
後で考えれば後悔することが多く、(あの時ああしていればよかった)(あの時こう言ってればよかった)と思うことが多々あったが、しかし、後で言っても、時すでに遅しなのであった。後悔するのも嫌だし、うじうじするのも嫌だ。では、一体どうすればいいだろうか。迷惑をかけ、肝臓がんで死んだ父の後を追って自殺するという考え方もあるはずだ。自分だけ生き延びることは、『生きながらえる』ことにならないのか。そういう葛藤も、友と共にしたこともある。
しかしそれは違うという結論を私は出した。そして、『更生』することを決意したのだ。『更生』というのは、『更に生きる』と書く。意識を改め、新たなる人生を生きる。それが『更生』なのである。内からの後悔や悲観、外からの批判や試練、様々な『力』が今日も明日も私を覆いつくそうとやってくるだろう。だが、私の心境はこの言葉が全てを語ってくれている。
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