偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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考察
人間は、『やらない言い訳』を考えさせたら無限の選択肢を引き出す生き物だ。それは確かに、『やる理由を見出す』ことが難しいということを示唆している。信念とか、信仰とか、理念とか、大義とか、こういう話を本気で出来るようになるのは、戦後の世代では珍しいのだろう。だが別に私は戦後なのだから、それもまた『言い訳』である。
かつては信仰を強要されたり、その為に命を賭したり、危険にさらされたり、あるいは国民が一丸となって一つの目標に向かって走りだすことがあった。しかし今はそれが無い。それが無いのは、どうなのだろう。『幸せ』なのか、『不幸』なのか。ハングリー精神で引き出せるはずの潜在能力が死ぬという意味では『不幸』だし、宗教が必要とない社会を生きれているのであれば『幸せ』なのかもしれない。
無い物ねだりだ。何をやっても、いつの時代になっても人は、その無い物ねだりを止めることは出来ないだろう。ただ、今回のテーマを今の時代を生きる私が考えるのであれば、書ける話はある。まったくその通りだ。何度自分の部下の、そういうケースをこの目で見てきたことだろう。部下は言った。


これは氷山の一角だ。この発言に対し、完璧主義者で理想が高く、人一倍情熱が熱くて、見栄とプライドの違いの意味をよくわきまえていて、男性と女性を『差別ではなく区別』していて、プライドの塊のような私が、彼にどう対処したか。想像にた易いはずだ。
ハッキリと言えるのは、私はこういうタイプが大嫌い。そして、かつてそうしていた自分も決して認めていない。認めてはならない。認める必要が無い。理由は簡単だ。部下の為、あるいはいずれの子孫の為に、ダメなものはダメだと言える人間でいたいからだ。
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