偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
例えば私は父親が17歳の時に死んだが、その時、あるいはその前は、
『死ねよ』
と思っていた割には、いざ死ぬとなると、
(え?死ぬってなに)
と思ったものだった。つまり私は、『死を受け入れてなかった』のだ。だから『死ねよ』と思っていたのである。そして、死んでいく父親の事を考えた時、封印していたはずの涙がこぼれた。
まるで、それが今まで押し込めていた頑なな感情を解き放ったかのように、父親との思い出を思いだし、自分の至らない点を内省しだし、死ぬまでの時間に何が出来るかを考えた。すると、それまでは本当に死んで欲しいと願っていた父親の存在が、急に愛おしくなり、あるいは、まるで身体の一部が切り落とされるかのような、そういう錯覚さえ覚えたのだ。
そして父親は死んだ。それは一体自分にとって、どういうことだったのだろうか。だとすると母親も死ぬし、私もいずれ死ぬ。死ぬという事は、こういうことなのか。 今まで流れていたその人の周りにあった空気や、思想が、全てこの世から消え失せ、無かったことのように記憶の片隅に追いやられていく。
こんなに虚しい存在だったのか。
こんなに儚い存在だったのか。
だったら、『死ね』だなんて、思わなければよかった。思わなくても、死ぬからだ。恨まなくても、最後は愛おしいからだ。儚いからこそ尊い。それが、我々が生きている、この人生である。私は父の死を通して『死』を真正面から受け入れ、それを理解したとき、この人生が何であるかを知った。
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