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トーマス・フラー『金持ちの快楽は貧乏人の泪をもって購われている。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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考察

『パレートの法則』で言えば、実に80%の人々がここで言う『貧乏人』に該当することになる。そして20%の人々が、『金持ち』だということである。例えば資産が1兆を超える人間が何人かいるが、彼らは一体何人分合わせたお金を所有していることになるだろうか。この言葉をどう捉えるかだ。

 

(大富豪め。忌み嫌われる存在め。)

 

と思うか、

 

(ここにヒントがある。80%向けの薄利多売な製品やサービス、あるいはインフラを構築、販売することが出来たなら…)

 

と思うか。

 

時代背景も大きく影響するだろう。しかし、『金持ちの快楽』とは何とも傾いた言い回しである。お金を持った人が、最愛の家族と食事をして幸せになった。その時、脳内には報酬系物質のドーパミンが放出されていて、『快楽』に包まれている。

 

しかし彼らは、努力したのだ。努力して積み上げ、汗水流して働き、ついにはある程度の富を得た。そんな彼らのひとときでさえ、『金持ちの快楽』に該当すると言うのでは、いささか『金持ち』自体には、罪は無さそうだ。罪があるとしたらこの世の仕組みである。『金』という存在自体が害悪なのである。

 

金

 

ルソーは、人間は元々平等だったが、 その平等さを追い求めた結果、『不自然な不平等』が起きたと言う。それが『法律』、『政治』、『家族』、『勤労』といった『社会制度』であり、地位や名誉、そして財産による階級の差異、差別化である。

 

マルクスが、『ブルジョワジー(資本家)とプロレタリアート(労働者)』の対立構造を主張したように、確かに人間の中にそういった格差が生まれていることが事実で、それを見た時にそれが『人間の最終到達地点』かどうかを考えると、首をかしげざるを得ない。トーマス・フラーのこの言葉は、なかなか深みがありそうだ。

 

 

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