偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
この言葉に10年前出会ったとき私は、身体に電流が走るのを覚えた。
(これは、とんでもない叡智を見てしまったのではないだろうか。)
だがしかし、身の回りに蔓延し、流れている常識は、この逆のことを唱え続けているのである。高校、大学を出て社会に出て、毎月給料を貰う。働いた分だけ貰ったその給料で、週末にどこに出かけようか、何をして遊ぼうか、どんな服を買おうかに頭を悩ませる。しかし、将来の為に貯金をしなければならない。すると必然的に、10代の頃の様に遊ぶことは出来なくなってくる。そうしていずれ結婚し、結婚式を少しでも感動的に挙げられるよう、計画する。
STEP.1
子供が生まれる
STEP.2
車や家の購入
STEP.3
ローンについて考える
STEP.4
子供の養育費について計画する
STEP.5
仕事を頑張る
STEP.5
給料を貰う
それでいいのだ。それが『常識』なのだ。
…しかし、それでいいのか?それは一体、誰が決めたのか?そこに『主体性』はあるのか?
たった一度のこの人生に、何を見出すか。あるいは子孫に、何を遺すか。そして『子孫』とは、誰のことを指すのか。こういうことを考えた時、初めて人は、自分の人生の舵を握る様になる。
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