偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
徳川家康も、
と言ったが、大将たるもの、自ら率先して戦に臨み、その背中を部下に見せなければ、部下は、何を見て、何のために、どう戦えばいいのかわからない。よく、相手の大将の首を取れば、それだけでその戦が終わるということがあるだろう。あれを私なら、
(まだ終わってねえよ)
と考えるが、事実、大勢の人はそこで戦が終わったとして、愕然としてしまうだろう。戦というレベルじゃなくても、子供の喧嘩でも同じだ。ガキ大将を先にやってしまえば、後の人間はモチベーションを無くして、茫然としてしまう。なぜなら彼らは、そこに『いた』ことはいたが、主体的ではなく、反応的(受動的)だった。つまり、ガキ大将と一緒に行動していた折、その様な流れにたまたまなり、自分たちを否定された、という排他的な考え方の下、無我夢中でそれに抗い、それが喧嘩という形になった。
が、そのヘビの首を切り落とされ、何が何だかわからなくなってしまう。そういうことが、集団心理には常にある。それだけ先頭を走る人間の影響力は大きい。その人間が、しっぽを巻いて逃げれば部下たちも逃げるし、勇猛果敢に立ち向かえば、部下も同じようになる。上に立つ人間は、そのことを肝に銘じなければならない。
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