偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け


ふむ…。
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目次
考察
ここから考えられるのは、テクニックやパワーがあるだけでは『優勝』という結果をもぎ取ることは出来ない、という、少しひねった考え方が求められる事実である。普通、オーソドックスに考えれば、テクニックとパワーがあればいい。だが、それだけではダメだというところに、注目したいのである。例えば錦織圭の例で言うなら、それはもはや『テニス』ではないだろう。テニスなら、テクニックとパワーだ。それがあれば『テニスが上手い』ということになるのだ。
しかし、『テニスの大会で優勝する』為に、それ以外のことが求められる。これはおかしな話である。いや、多くの人は、『それも含めてテニスなんだよ』と言うだろう。だが、私がそう思わない。私のような人間がいるのだ。だとすると、私は何かそこに『違和感』を覚えている。そしてその違和感というものは、私独特のものでは決してないはずだ。だからこそ体力を温存できない選手が大勢出てしまうのだから。
ここにはどこか、テニスとは別次元の考え方が求められるような印象を受ける。『戦略』というのか、『兵法』というのか、とにかく私は、そこを切り離して考えたい。
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