偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ロシアの作家 トルストイ(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次
考察
トルストイは、
とも言っているが、『没我』とはつまり『犠牲』である。自分が(これを失うと結構つらいな)と思わないもの、例えば、100個まんじゅうがあるうちの、1つだけを渡すことは、あまり『没我、犠牲』ということにはならない。『アンパンマン』はどうだろうか。
(画像)
これなら、『没我、犠牲』に見える。もっとも、その後にジャムおじさんに新しい顔を作ってもらえることを考えると、『100個のまんじゅう』とあまり変わらないが、一見した感じの印象としては、こういう印象が、『慈善』である。実はこのアンパンマンの作者、やなせたかしは、クリスチャンだったという。つまり、このアンパンマンのイメージは当然、
キリストだったのだ。
ここまで考えたうえで私が思うのは、(犠牲だ)と思う時点で、そこに『没我』はなく、最終的には、その人の為に命を差し出すことを『喜ぶ』ことこそ、愛と慈善の、究極の姿のように見える。
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