偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]日本の作家 武者小路実篤(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
他人と自分とは違うのだ。『人間』という種類は同じでも、『形』が違う。
凸凹。
この絵を見ての通りだ。種類は同じでも、形が違うのである。老若男女問わず、全ての人間は違う形をしている。だとしたら、人の突出している部分が自分の場合はへこんでいても、何も気にする必要はない。それどころか、それは無駄な悩みというものである。言うなれば、『リンゴ』を、
(なんでリンゴなんていう名前になってしまったんだ…イチゴの方が良かったのに…うぅ…)
とふさぎ込んで泣き続けるほど、無駄な悩みである。
イギリスの探検家、ラポックは言う。
我々は、過去、未来永劫において唯一無二の人生を生きているのだ。そのことについて、一度じっくりと考えたい。
『他人がどうあろうと自分さえ、ちゃんとしていればいい。するだけのことをすればいい。』
この言葉は、一見すると無責任だ。ある場面ではこの言葉を言う人間は『冷たい人間だ』と解釈されるだろう。私が17歳の時のケースに当てはめてもそうだ。わたしは『他人がどうあろうと自分さえちゃんとしていればいい』と考えて生活をしていた。しかし、ある時恩師に言われたのはこうだ。
『お前はずるいな、卑怯だ。醜い。汚い。』
私は涙を流した。普段決して涙を流さないと決めている私が、男泣きをしたのだ。それだけ彼ら恩師のことを信頼していたし、全力で生活をしていた。つまりは、情けない自分が認められなかったのだ。だが私は、『するだけのこと』をしていなかったのだ。恩師はそこを見逃さなかった。私は、『自分さえよければそれでいい』という、冷たい人間に成り下がっていた。しかし演じているのは、優秀な人間。それを客観視したときに恩師が私のためを想ってそう発言したのは、必然的だった。
『他人がどうあろうと自分さえ、ちゃんとしていればいい。するだけのことをすればいい。』
間違えてはならない。この言葉の意味を。いや、武者小路実篤がそう言ったのかどうかは知らないが。
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