偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]日本の作家 武者小路実篤(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
シャンクス『考え方が違うから別々の道を好きに行きゃいいんだ』
ここにも書いたが、私は家族と思想、価値観、宗教が違うことによって、随分長い間悩まされ、時には思慮を放棄し、現実まで放棄するに至ることもあった。受け入れられなかったのだ。それは、私が家族と一心同体だと思っていたことが、一つの大きな要因だった。
しかし、『友情』ならどうだろうか。家族よりは、縁が、絆が浅い。だからそれらが通用するのではないか。それが、武者小路実篤の意見である。だが、私の様な人間はダメだったらしい。
色々と試した。
10年近い時間をかけた。
しかしむしろ、時が経てば経つほど彼らの存在は大切になり、『家族』に近づき、そして同じ現象が起こってしまったのだ。彼らと思想が合わないことが、耐えられなかったのである。
しかし武者小路実篤が言う様に、やはり『友情の価値』がそこにあるということは、私も見た。一人一人の多様性が失われることは、同時に主体性も失われることになる。そこに『意志』はないわけで、だとしたらルソー曰く、
それは『生きる』ことに該当しない。理想の高すぎる私だが、いつか誰かに対し、(あいつの独立性は認めたい)と思える日が来ることを願っている。
追記:この記事から4年、残念ながらいまだに実世界で私が独立性を認めたいと思えるような友人には出会っていない。それは単純に、私が閉鎖的な生き方をしているからだ。仕事も家で出来る為、無意味に外に出かけることはない。そんな生活が数年間続いている。
たまに出会う知人程度の人と話をしても、往々にしては明らかに自分よりも未熟な人ばかりなので、その人の専門的な特技以外については、あまり独立性を認められない場合が多い。新しい家族もクリスチャンであり、私は到底話をすることができない人間だ。私が宗教を持っている人と話をすると、相手の矛盾点を論破したくなる為、その人のため、あるいは不和を生み出さないために、関わらないようにしている。
私は無宗教の立場故、それぞれの宗教家たちの独立性を認めていないのだ。私はもちろん、『四聖』に数えられる、
孔子、
ブッダ、
キリスト、
彼らと対話をした。そしてその上で無宗教で生きる覚悟を固めているのだ。その詳細を知りたければ、下記の記事を読むのが良い。その代り、このサイトで最も難易度が高く、文字数が多い記事の為、ある程度の覚悟が必要だ。
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そんな私があえて自分の友人は誰かと言わなければならないのであれば、 ニュートンがこう言った様に、
上に挙げた四聖も含めた偉人たちであり、真理である。
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