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三島由紀夫『傷つきやすい人間ほど、複雑な鎧帷子(よろいかたびら)を身につけるものだ。そして往々この鎧帷子が、自分の肌を傷つけてしまう。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]日本作家 三島由紀夫画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次

考察

ブッダの言葉の超訳として書いたのは、

ブッダ

 

この記事だ。そこにも書いたように私は、複雑な思考回路、繊細な心、高いプライド、そういうポテンシャルを持って人生を生きている為、正直、この世は敵だらけだ。だから簡単に傷つかないようにするために、自己防衛としてやるのは当然、『鎧を着こむ』ことだ。多くの人は『見栄、虚勢』といった『威嚇』である。動物が威嚇するのと同じだ。あれで自分を傷つける天敵等を近づかせないように画策する。

 

ニュートンの記事、

 

にも書いた『威圧的な女性』も、同じように『傷つかないようにするため』に、そういう態度を取っていたのだ。私の場合は『見栄、虚勢』ではない。私の場合は珍しいパターンで、過去、大人による『見栄、虚勢』によって理不尽な目に遭った記憶から、それ以外のパターンで、この『鎧』を着るようになったのだ。

 

私が着た鎧。それは、『表裏的な人格分別』である。つまり、表では『何事もない優等生』を装い、実際の部分では、『この世に理解者など誰もいない』という捻じ曲がった人格をまかり通らせる。そして事実、理解できる人間が本当に少ないことから、その真実は闇に隠されたまま、その両立がまかり通っていく。

 

しかし私は、あの恩師達に出会ってよかった。それはフランスの小説家、スタンダールの、

 

この記事に書いたとおりだ。恩師達は、私のその『裏の人格』を、見事に見抜いてみせたのである。私はこの『人格分別』によって、『当たり障りない生活』を過ごすことが出来た。しかしそれにはデメリットがあったのだ。それが『真実の曲解』『傲慢不遜かつ冷酷無比な人格の助長』であった。

 

私はその歪曲した人格の方をそこで恩師に指導されなければ、今頃何をしていたかわからない。世の中を『アウトサイド・イン』の見方で考えていたものが、この精神修行によって確実に『インサイド・アウト(内から外へ)』になったのだ。つまり、それまでは完璧主義が故に冷徹になり、自分の理解者などどこにもいないと斜に構えていた。とげが刺されば、その『とげ』を敵視し、憤慨し、激昂するような、そういう責任の考え方をする様な人間だった。

 

だが、『インサイド・アウト』、つまり、『身の回りで起きていることは全て自分の責任』だという圧倒的な真理を理解したとき、私はとげが刺さった時、そのとげをただ取って、その傷口にすら愛着を持つような人間を良しとしていたのだ。『執着』していたから、『鎧』を着ていたのだ。それが『愛着』になった途端、鎧の必要性は無くなっていた。

 

『傷ついた』?そりゃあそうだろう。そんな複雑な鎧帷子を着けているからだ。『自分の人格を守る』ということは、どういうことか。一度このことについて、じっくりと考えたい。

 

 

 

 

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