偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]アメリカの作家 ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
以前、芥川龍之介の記事、
の言葉を内省したときに書いたのは、部分の最適化は、全体の最適化の重要性について、あるいはマザー・テレサの、
という言葉について考え、『些事』を軽視しないことの尊さを考えた。だが今回のソローの言葉で内省したいのは、
『しかしそうは言っても、永久に解決できない問題、あるいは、永久とは言わなくても、有限の人生の間では到底解決不可能な問題、これについて悩み、憂うことは、人生の浪費になり兼ねない。』
というテーマについてである。例えば、宗教問題はどうだ。食事はどうだ。動物を殺して、食べていいのか。あるいは、毛皮のコートはどうだ。また、草木もそうだ。どこまで刈り取っていいのだ。どこまで伐採していいのだ。
確かに、『エネルギー不変の法則』というものはある。しかしだとしたら、人間だって死んで燃えたり、灰になることは、別のエネルギーに転換されることになる。だとすると人間は、他のエネルギーを操作するのではなく、死んで別のエネルギーになって他に貢献する、という選択肢もあるはずだ。なぜ勝手に他のエネルギーを操作するのだ。それは越権行為ではないのか。
あるいは、宇宙はどうだ。いずれ、隕石は衝突するのか。地震は?事故は?事件には本当に巻き込まれないか?心配だ。子供を外に出せない。家にかくまっておこう。
以前そういう考えの下、自分の子供を10年以上もの間軟禁し、一切外に出さないという親がいた。彼らは確かにその親を訴えなかった。そんな親でも、愛してくれていたことは事実だからと言って、その罪を赦したのだ。しかし彼らの人生は、『浪費』ではなかったのだろうか。彼らは、ろくに文字も書くことが出来なかった為、学校で一から学ぶことになったのだ。
親を赦した彼らの事だ。『浪費ではない』と言うだろう。だが、ここまで考えるとソローの言葉の重みがグッと深まってくる。
ジャン・パウルは言った。
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