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ヘンリー・デイヴィッド・ソロー『一人で行く人は今すぐにでも出発できるが、他人と一緒に旅する人は他人が準備するまで待たなければならない。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]アメリカ作家 ヘンリー・デイヴィッド・ソロー画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察

例えばスポーツでは、チームプレイと単独プレイに分けられる。サッカーや野球がチーム。ボクシングや剣道が単独だ。それだけで考えても、この言葉の意味が見えてくる。私の場合はチームプレーやスポーツがあまり得意ではなかった。それは、スポーツが真剣になればなるほど、『反則ギリギリの行為』が行われるからである。

 

スポーツ

 

だが、私はそんな行為をしてまで『勝ちに執着する』ことが出来ない。それは、幼少の頃に父親から受けた軽い虐待が影響している。虐待といっても、言った様に軽い。その一件だけだ。しかし、一件だけでも、確かに虐待だった。父は、私を利用して、そこにいる子供たち全員から威厳を勝ち取ろうとしたのである。

 

(そうまでしてなぜそれが欲しい…。)

 

私はその一件から、価値に執着する人間が醜く見えるようになった

 

スポーツ

 

真剣にスポーツをやったり、他人と一緒に何かをやろうとすると、そういう他人の未熟な点、醜い点がハッキリと見えてしまう為、トラウマを思い出してしまうのか、うんざりしてしまって、嫌なのだ。それならば、剣道やボクシングのように、自分の心とひたすら向き合って、自分と戦い続ける運動が性に合った。しかしそれも、『練習が性に合った』というだけで、試合となると、どうもやる気が起きなかったのである。

 

勝敗を決めるのが試合』だからだ。そうして構築された私の人格で、こうしたサイト作りなどのクリエイティブなことができるようになった。だからそれはいい。だが、私の吃音症の部下が、いつまで経っても私の理想の人間に育たないことを受け、ソローの言葉をかみしめるのである。

 

自分一人で生きる方が楽であり、向いている。この部下は正直、足手まといだ。10年もの間、同じことを繰り返す様子を間近で見て、私の堪忍袋の緒はとっくに切れている。しかし、私のこの部下を見捨ててまで生きる人生に、私は価値を見出だせない。たとえその道が、自分にとって好都合な人生だとしても。

 

 

 

 

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