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ドストエフスキー『誰ひとり尊敬する相手がなくなると、人は愛することをやめ、愛を持たぬようになると、何かに没頭して気をまぎらすために情欲や卑しい快楽に溺れて、あげくのはてには畜生同然の罪悪を犯すようになります。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ロシア作家 ドストエフスキー画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察

10代の私だ。私は物心がつく前から両親にクリスチャンであることを強要され、それは大げさに言えば『洗脳』だった。しかし、物心がつき、自我が発達した時、私は両親との価値観の違いに気づき、それを主張すると、私は『反抗期』だと揶揄され、『聞き分けのない悪い子』というレッテルを貼られた。

 

 

唯一の味方だった兄弟との関係でもトラブルがあった。そうしたことが理由で、私の家族には、私の味方は一人もいなかった、と強く自覚していた時期があったのだ。

 

ドストエフスキーはこうも言った。

 

この言葉がここに適している言葉として発せられたかどうかは置いておいて、私は、『神』になった。つまり、私に嫌な思いをさせる神も信じられない。それを強要し続ける親も信じられない。たった一人の味方のはずだった兄も信じられない。だとすると、私が人生の規範にするべき存在は、自分以外に存在しなかったのだ。

 

だが、ドストエフスキーの言った通りになった。未熟な私を規範にして生きていくことは、破滅への道を選択することと同じだった。例えばそこに、『良心の呵責』という『両親からの愛』があったなら、私の行動は、自制的だっただろう。

 

もっとも、私はもう言い訳をするつもりはない。責任転嫁もしない。私の人生で起きたことは全て、私の責任である。だが、もし私の子供が生まれてくることがあれば、その子供の手柄は子供のもの。そして、子供の失態は全て、私の責任である。

 

ただし、そこまで考えると、私をこの様な考え方にしてくれたのは、この両親、この環境のおかげだ。若干32歳の私がまだ何かを言うには時期が早いが、私は、この唯一無二の人生に、感謝しなければならない。

 

 

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