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ドストエフスキー『皆のために自発的に命を捨てること、皆のために十字架にのぼり、火刑の火の中に入ることは、個性が最も強度に発達したときに初めてできることである。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ロシア作家 ドストエフスキー画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次

考察

私は、クリスチャンである母親に、

『最近キリスト教徒がイスラム教のムハンマドを冒涜したビデオを流して、暴徒化したイスラム教徒に要人を殺された事件があって、暴動があったわけだが、なぜクリスチャンを語る人間は、イエス・キリストの様に自分の命を捧げ、その暴動を治めようとして名乗り出ないんだ?そういう行動を取るなら、恐らくそこでその人の命は終わるけど、世界でそれを知った多くの人はひどく感動し、クリスチャンになる人が激増するし、格も上がる。

 

また、イスラム教徒の人間もひどく感動し、争いも治まるし、何より、イエス・キリストの生き様こそが正しい人間の在り方なんだ、ということを教えているのがキリスト教なら、それをしない20億人の自称クリスチャンは、何のために存在しているんだ?俺もそういう人がクリスチャンだったら、きっと尊敬したと思うし、自分自身もクリスチャンになることを検討するけど、そういう人が一切いないからなあ。だから俺は宗教を持たないんだ。』

 

と言ったことがあるが、母親はそれを聞いて、ぐうの音も出ない様だった。別に、母親の信仰心を揺り動かして、精神的ダメージを与え、死に至らせることが目的ではなかったため、それ以上話を膨らませなかったが、私への信仰の強要への抑止にはなっただろう。何しろ私は、実に29年間という間、強要されていたのだから。

 

母親はこうも言った。

 

[say name=”” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/女性の人物フリーアイコン素材.png”]人間業じゃない。人間じゃああいう風に身代わりになることは出来ない。[/say]

 

つまり、イエス・キリストはそれをやってのけたからこそ『神』なのである、ということを言いたく、そしてそれは暗に(だから私たち人間は別にそれをしなくていい)と言ったのと同じなわけだ。だとしたら彼らの言う通り、彼らクリスチャンは『さまよえる子羊』だ。

 

 

さまよっている子羊が、人に何かを強要しようとしていたこと自体が間違いだったのだ。これで私と両親の間にあった問題は解決する。

 

ドストエフスキーの言うように、自分たちの命が、『さまよえる子羊』ではなく、『唯一無二のアウラ』であるということを知った時、人は、その命の尊さを最も実感する為に、主体的に死へ向かっていき、大義に命を燃やすことが出来るようになる。自殺や自爆テロという話ではない。そうしなければならない場面は、ある。

 

エラスムスは言った。

 

その時に迷いなく行動できる人間は、『平均寿命』も『一般常識』も含めた一切の人為的な虚像に支配されない、主体的な意志を持った、真の勇者である。

 

 

 

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