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ドストエフスキー『人間は卑劣漢として生きることができないのみならず、卑劣漢として死ぬこともできない。人間は清らかに死なねばならない。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ロシア作家 ドストエフスキー画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察

卑劣漢というのは、最低最悪のクズという意味だ。人間の風上にも置けない、常識では考えられない狂人のことである。だが、そう考えると、別に卑劣漢として生きて、そのまま死んでいく人間はいるだろう。私が知る限りでも、自分がやった卑劣極まりない大惨事を、一切反省することなく、そのまま死刑された人間がいる。

 

だとしたら、ドストエフスキーのこの言葉は無意味なものか。いや、『人間』という部分を再考するのであれば、話は別だ。高杉晋作はこう言い、

 

御木徳近は言った。

 

『人としての努力』をすることがなければ、そこにいるのは『人』ではない。例えば、猟奇的に、理不尽に、車を運転して暴走し、子供の群れに突っ込んで多くの子供の命を奪う者がいるとしよう。彼は確かに、生物学上的には人間である。だが、彼は本当に人間なのだろうか

 

 

『人間』は、卑劣漢として生きることも、死ぬことも出来ないのである。

 

 

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