偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ロシアの作家 ドストエフスキー(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
『神』という第三者的な存在がなければ、それがあったときと比べ、物事がスムーズにいかないケースが他出することになるだろう。Aでもない。Bでもない。そんな両者が対立するときはよくあることである。
[say name=”男性” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]俺が正しいんだ。[/say]
[say name=”男性” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png” from=”right”]いや、俺の方こそ正しいんだ。[/say]
そんな時、『C』というどちらでもないものの存在が、両者の不和を解決させる。そういうイメージで間違いない。つまり、このドストエフスキーの言葉のように、『私こそが神(絶対主)だ』と言ってしまうことは危険である。その時点で、衝突、軋轢、確執、暴走、不和、戦争の原因となるからだ。
ニーチェは言った。
『神』は、『人間が捻出した叡智』なのか、それとも、『実際に全てを司る存在』なのか、どちらかは定かではない。しかし、わかっているのは、
『それ(神・真理・愛)から離れれば離れるほど、虚無に近づく』
ということなのである。ただし、このドストエフスキーの言葉を、『救いの神がいないというのなら、私がその救いの神となって、世を救うしかない。』と思って立ち上がった、勇者の言葉だと思ってみると、また違った印象を持つ。
ブッダや、
キリストが、
目の前に広がっていた凄惨な現実を直視して、立ち上がった勇者の一人だと考えた場合、その勇気を否定することは、急にできなくなるのが、人間の心理だ。そして当然、テロリストがそれを言ったら、またガラリと印象が変わる。言っているセリフは同じでも、言う人や、その人の思想や目的によって、大きく印象が変わってしまうのである。
『人間が最終的に平和になる』様に働きかけるのを良しとするのか。あるいは、『森羅万象規模の目線で、人間を特別視しない』ことを良しとするのか。『ノアの箱舟』然り、どちらにせよ『神の規模』は、浅薄な人間の想像をはるかに超越する。
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