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ドストエフスキー『もちろん金は絶対的な力である。と同時に、平等の極致でもある。金の持つ偉大な力は、まさにそこにあるのだ。金はすべての不平等を平等にする。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ロシア作家 ドストエフスキー画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次

考察

ドストエフスキーはこうも言った。

 

その言葉と合わせて考えると、更にこの言葉の奥が何階層も深くなるだろう。というか、今回の言葉だけを見た場合と、上記の言葉と合わせた場合とでは、抱く感想が全く違ってくるのだ。

 

しかし、今回の言葉も上の言葉のニュアンスを漂わせている個所が一つだけある。それが、出だしの『もちろん』という言葉である。この言い回しはまるで、先に金の存在についてマイナスな意見を言い、だが、という形でそれを弁解しているかのようなニュアンスが漂っている。

 

前後の文を見れば一発なのだろうが、私はいつも『名言のみ』を見て内省文を書いているので、このような形になる。このやり方には想像力が強化されるというメリットもあるので、私は好んでこうしている。

 

 

『取るに足らぬ人物を第一級にする』という言葉は、『道標』でもあるし、『揶揄』でもある。前者の場合は、

 

『今、劣悪で不平等な環境を強いられている人は、金さえ手に入れれば、そこから抜け出せるぞ。』

 

という、ある種の応援の要素も含まれていて、そこに光を射しているわけだが、後者の場合は、

 

『この世は金さえ掴めば、どんな愚か者でもでかい顔が出来る、愚かな世界だ。』

 

という、世の中の不条理な仕組みについて、釘を刺しているようにも取れるわけだ。

 

 

私がドストエフスキーの言葉で考えたのは、冒頭に貼ったリンク先の記事にある通りだ。私は、前者と後者、その二つの要素について、考えを張り巡らせた人間の一人だ。

 

私の周りでも、愚かな拝金者が、特権の乱用を働き、法の網をかいくぐり、力づくで金を捻出し、『金を手に入れた人間が勝者だ』という様な顔をして、『成功者』面をしている人間が何人もいる。私は彼らの様な人間を見て『成功者』と思うことは出来なかったし、彼らの生き方には違和感しか覚えなかった。きっと、自分が彼らと同じような生き方をすれば、人生の黄昏時を迎えるときに、悔いを残す。そう確信したものである。

 

金を欲する人間は、それなりの理由を抱えて生きている。それは私もよく理解している。しかし、私はドストエフスキーのこれらの金に対する言葉の捉え方が変わった。それも紛れもない事実なのである。

 

 

 

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