偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]日本の作家 太宰治(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
いや、そういう人はいない。まずはその認識を持つことが、コンプレックスを抱えた全ての人間にとって、重要な一歩となる。何しろ、そんなことを考えるのは、コンプレックスを抱えて、悲劇のヒーロー・ヒロインを気取った人間しかいない。かつての私の様に。
私にもコンプレックスがあった。例えばその一つに、キリスト教を強要され続けた、という事実がある。
私は何度、『自由』を願っただろうか。何しろ、私が心底から自由を感じることが出来るのは、両親が死ぬか、両親がクリスチャンではなくなるか、私が他の両親の下に生まれ変わるかしかなかったのである。しかしもちろん、そんなことにはならない。だとしたら、私が『自由』に対してどれだけコンプレックスを抱いていたか、容易に想像できるはずである。私は自分こそが、この世で最も不幸な星の下に生まれた、悲劇のヒーローだと思い込んでいた。求めていない宗教を実の親から来る日も来る日も強要され続ける。まるで地獄だ。精神的虐待だ。親からすれば『愛』だが、受け取り側がこう考えているのでは、それが虐待にすら発展するのだ。
分析心理学の創始者、ユングは言った。
しかし私は17歳の頃、実の父親が死ぬとわかったとき、人生を、親を、自分を内省したのだ。
(俺と父親は、別々に死ぬのか。一心同体じゃなかったんだ。)
私は親を死ねばいいと怨んでいたが、しかし、『一緒に死なない』という事実に直面したとき、私は親を、愛していたことに気が付いたのだ。
だからこそ、私と価値観が違うことが、許せなかった。認められなかった。そしてそれが憎しみに変わったのだ。その現実から目を逸らし、刹那的な人生に走っていたのだ。父親も、母親も、私も、皆、別々の存在である。一人で生まれ、一人でこの世を去る。家族という絆はあれど、去る時は別々だ。一人で去らなければならない。
ヘルマン・ヘッセは言った。
だとしたら、それならば、私と親とは、別に価値観が違ってもよかった。唯一無二の人生を、それぞれが生きればよかった。それぞれに長所があり、短所があり、それを長所と取るのも短所と取るのも様々であり、ユングが言う様にある人が『良い』と言っても、ある人は『悪い』と言う。それならば、私は求めてはならなかった。親に、私が求める『完璧な理想像』を、求めてはならなかったのだ。我々が生きているこの人生は、たった一度である。自分が信じた人生を、ひた歩くべし。
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