偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ロシアの作家 チェーホフ(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
私はこれを身に沁みてよく理解している。10代前半の頃の私は、知識も教養も、それから大したトレーニングもせず、自分が生まれ持っているポテンシャルだけで、自分の抱いている理想のメンタルを演出し、傲慢不遜な態度を取ることがあり、そしてそういう場合はいつも必ず打ちひしがされていた。つまり、『偉くもないのに、偉そうにしていた』のだ。『偉そうな人に、偉い人はいない』のである。私は口が達者だったが、それは過信しているからだった。つまり、自信があるなら、私の口は達者ではなかったはずだった。
オー・ヘンリーは言った。
私の口が達者で軽薄だったのは、ただ私が無知で未熟なだけだったのだ。
だから大抵、その無知が相手に露呈して、相手を言いくるめることはおろか、逆に足元を見られて見下され、言い返されることになった。そしてその度に私は、自分の無力さにただただ打ちひしがされ、自分の理想のメンタルと、実際とのギャップがあることを思い知らされていったのだ。
私は、チェーホフの言うように、『優しい口調』であっても、人を自分の思い通りの展開に誘導することが出来なかった。慰めたり、励ましたり、勇気付けたり、戒めたり、どの道、その全ての思い通りの展開に誘導することは出来なかった。それはただただ、自分が無知で無力で、およそ『自信』という言葉を言う資格などなく、せいぜい『過信』という言葉を、自分勝手に振り回すことぐらいしか出来ないことを意味していた。
その『恥』たる経験を幾度か積み重ねたことも手伝って、人間の威厳が最も厳かになるのは、ベラベラとしゃべって、その勢いで誤魔化そうとするその態度にあるのではなく、まず、本当に自分の実力を引き上げる努力をして、その努力の影を微塵も見せないような立居振舞をすることで、自然と、いいわけ、揶揄、罵倒、虚勢といった口数が減る、そのような態度にあるということを確信していった。
『能ある鷹は爪を隠す』だ。南フランスのモラリスト、ヴォーヴナルグは言った。
つまり、まず『きつい言葉で人を征服する』ことを考える人間に、自信のある人間などいないということである。
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