偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ロシアの作家 チェーホフ(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
『老人の厭世主義は外部からひょっこりやってくるのではなく、自分自身の頭脳の奥深いところからくるのだ。散々苦しみ、数え切れないほどの過ちをしでかした後、下から上までの全階段を上り終わった時に、初めてやってくるのだ。』
『厭世(えんせい)』とは、世の中が嫌な場所であり、価値が無い場所であると認識すること。では、なぜ、小人ではなく、青年でもなく、老人で厭世的な考え方が湧き出るのだろうか。それを考えた時、真っ先に見えて来るのは、彼らのかつての活躍時代である。
色々なことがあった。波乱万丈だった。勉強もしたし、就職活動もした。あるいは起業して昼夜働いたし、あの人と出会い、あの人と別れ、あんな映画を観て、あんな音楽を聴いて、
自分の人生は、振り返ると本当に大変だったけど、あの頃はそれで楽しかったなあ。
でも、今はもう知り合いは皆死んでしまった。
夫も、妻も、兄弟もみんな死んだ。
なじみの音楽も、もうどこからも聴こえてこない。
昔のことを知っている人はもういないんだ。
昔の話で盛り上がれることは、もうないんだ。
もう、終わりなんだ。
いや、最初からこの人生は、何もなかったんだ。
そこに自分の知っている人がいて、自分の船があり、その船でこの海を航海していただけなんだ。
そしてその船は、もう座礁したんだ。
わかっていた。そんなこと知っていた。でも、それを誤魔化すだけのエネルギーと、船があった。
だからここまで冒険してきた。でも、その冒険は、『無駄な抵抗』だった。
なぜならこうしてどうせ、死ぬのだから。
貯めたお金も、覚えた知識も、磨いた運動能力も、全てが無になる。ゼロになる。
そうだったのだ。最初から、そうだったのだ。
…老人たちは、例えばこういう風に、人生を振り返るのではないだろうか。
私の80歳を超えた最後の祖母も、つい最近軽い認知症になった。私は自分にとっての最後の祖父母の生き様を最後まで見て、自分の糧にし、そしてそれを子々孫々へと繋いでいくつもりだ。
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