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孟子『人、自らをあなどりて、しかるのち、人これをあなどる。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次

考察

自分に無限の可能性があることを知ったなら、人にもその他の森羅万象にも、同じようにその可能性があることも、連鎖して悟るはずである。もしそれを連鎖して悟っていないのであれば、それはそもそも『無限の可能性を悟った』ことにはならない。その可能性の中には当然、宇宙サイズの包括的な視野と許容が含まれているからだ。

 

 

まさか、この全宇宙において、自分だけが特別な存在だと思っているわけではないだろう。ここでいう『特別』とは、自らを『神』だと言って思い上がることや、『無価値』だと言って卑下すること、その全てにおける認識である。そのどちらも一言、『思慮浅い』のだ。思慮はまだまだ、深く潜れる。決めつける前に、やることがある。

 

『人、自らをあなどりて、しかるのち、人これをあなどる。』

 

人を侮る人間は、自分を侮っている人間だ。例えば深くまで物事を考えた人は、飄々とした人を見たとき、『守破離』の『離』の境地に相手がいることを想像する。だが、同じくその境地にたどり着いていなければ、それが『離』の境地であるということはわからず、単なるとぼけたじいさんのように見えてしまうものである。

 

そういう人は、(自分もここまでの境地しか見えてないんだから、この相手もきっと同じような境地にいるはずだ)と思い込み、真実を見誤ってしまう。

 

見誤

 

例えば、フランスの初代大統領、シャルル・ド・ゴールはこう言った。

 

私はこの言葉を初めて見た17歳のとき、この言葉の意味をよく理解できなかった。それまで十分に波乱に満ちた人生を生きてきて、他の多くの名言の意味を人一倍身に染みて理解していた私は、どうしてもこの言葉の意味を理解できない自分が納得いかず、(この言葉自体が的を外しているんだ)と考えたものだった。

 

だが私は侮っていた。『自分を』だ。まだ17歳という年齢でこの世のすべてを理解して、最高到達地点にたどり着いてしまったと、自分を過大評価してしまったのだ。いや、実際には『侮っていた』のだから『過小評価』だ。自分がたどり着けるのは『ここまでだ』と決めつけてしまっていたのだから。

 

その後、およそ6年ほどかけ私はその言葉の意味を理解した。私はただ、この言葉を理解するまでの境地にたどり着いていなかったのだ。そこにあった事実は、ただそれだけだったのだ。

 

事実

 

『人、自らをあなどりて、しかるのち、人これをあなどる。』

 

私は自分を侮っていた。そして、ドゴールも侮ってしまった。まさに、孟子の言うとおりになってしまったのである。

 

 

 

 

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