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アインシュタイン『人に対して正しく賢明な助言をすることはできる。しかし、自分が正しく賢明に振る舞うことは難しい。このことわざには真実がある。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ドイツ理論物理学者 アインシュタイン[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次

考察

まず考えたいのは、アリストテレスが言った、

 

という言葉である。つまり、この二人の言葉を合わせて考えると、『正しく賢明な助言』と言っても、それは、『自分が勝手に正しく賢明な助言』をしたと思っているだけで、実はそれが、適切な度合いで、適切なタイミングで、適切な目的で、適切な言い方だったかは、定かではないのだ。

 

適切

 

全て、『独りよがり』だったかもしれない。それが例えば『真理の言葉』であっても。そう考えるとこの話は一気に深くなり、例えば、

 

ソクラテスが、

ソクラテス

 

と言って、真理について追及し、それで人々の反感を買い、裁判で死刑に多く票を入れられて、無実の罪なのに、処刑されることになった。この『死を恐れない姿勢』はとても高潔だし、真理への忠誠心は未来永劫人間の歴史に残るが、周囲の人間は理解が出来ず、ソクラテスは命を落としたのである。

 

このソクラテスの行動が『賢明』かそうじゃないかは、極めて判断が難しい。もしかしたら永久に答えが出ないかもしれない。しかし、答えが出ないということは逆に、それぐらい議題に挙げられ続ける価値のあるテーマという事で、どちらにせよソクラテスの生き様は、決してないがしろに出来ない。

 

とにかく、そう考えると、アインシュタインのこの言葉の、『自分が正しく賢明に振る舞うことは難しい』の意味に繋がる。

 

(正しく賢明な助言をした…でもそれは、自分がそう思っているだけでしょ。)

 

ということなのかもしれないのだ。もしかしたら。

 

もう一つは、太宰治がこう言うように、

 

あるいは、小説家、吉行淳之介がこう言うように、

 

例えば、『愛は正しいんだ。愛こそはこの虚無たる混沌の世に差す、一片の光なんだ』と人に断言することは出来ても、実際にその断言した通りに自分が遂行しているかどうかを考えると、『インチキ』をしているのである。

 

例えば、目の前の命を救ったとして、そこで大喜びをする。だが、その間にも人はどこかで理不尽な目に遭っている。そしてそれは当然、人間だけではない。それなのに自分だけ愛に満たされ、喜んでいる。それは、インチキだ。自分たちだけに愛が照らされて喜ぶ、自己満足だ。そもそも、人間本位の発想自体を見直す必要がある。害虫を、なぜ殺すのか。動物を、なぜ殺して食べるのか。当たり前のようにやっているその行動は、本当に、『賢明で正しいもの』なのかどうかは、疑わしい。なるほど、そう考えると、この話はぐっと奥が深くなる。わかっているのは、人間が恒久的に未熟だという事だけだ。

 

動物

 

 

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