偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]日本の思想家 吉田松陰(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
『自分に近い良い性質』を自分のものとする。これは非常に心強い言葉だ。全てを鵜呑みにする必要が無いのだ。例えば偉人と言えば、まずその筆頭として『四聖』に数えられる、
孔子、
ブッダ、
キリスト、
がいるわけだが、彼らの意見は絶妙に違うわけだ。儒教、仏教、キリスト教。それから、ソクラテスの神格化はないが、実際は『デルポイの神託』によって神のお告げを聞き、人々に『無知の知』を説いて回ったことを考えると、同じようにソクラテスの人生にも『神』の影がちらつく。
『神の生まれ変わりだ』と言ったり、
『個人を崇拝するな』と言ったり、
『神を”尊敬”はしても、”崇拝”はするな。』と言ったり、
『お告げを聞いた』と言ったり、
この代表的四人の教師だけで、既に差異がある。老子と神仙の『道教』もそうだし、ムハンマドを預言者とする『イスラム教』もそうだ。それだけではなく、 世の全ての偉人たちが、
同じ意見を持っているわけではない。だとしたら、その中からどちらにせよ、自分の好きな性質を学習するだろう。そこには自由があり、意志がある。我々はたった一度の人生を生きているのであって、何人たりともその権利を侵害することは出来ないのだ。
だが、『よい(良い、善い)性質』と言っていることで、人殺しなどの性質を真似て、自分のものとすることにはならない。『心ある人』と言っているのだ。心がある人間は、人殺しを正当化することはないのである。自由は自由でも、その中にはしっかりとした『制限』があって、しかし、それを『制限だと思っていない』人間が、『心ある人』なのである。
例えば、ノイマンあたりの悪魔的頭脳を、『断片的に崇拝』して『悪用』し、核爆弾のつくり方をマスターしてしまった人間は、『窮屈さ』を覚えることもあるかもしれない。だが、そこで(窮屈だ)と思う人間は、もう『人間ではない』のである。核爆弾など、必要ないからだ。
心ある人から、自分に近いよい性質を学び、自分のものとする。これで、彼らがその人生で研ぎ澄ました細胞が、自分と同化し、精神年齢は年相応ではなくなる。こうやって人間が日々進化していけば、未来は間違いなく、常に過去よりも研ぎ澄まされることになる。かつて、火を起こすことに大変な労力を強いられていた時代の人々が、親指一つで簡単に火をつける今の時代を見て、目を疑うはずの様に。
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